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キェ―――
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ここは、開かれているようで閉じきった宇宙
そして、閉じているようで開けっぴろげの宇宙

過去を清算し、未来を睨め。
選択肢というものが存在している時点で甘えなんですか?
今日は、自分の過去をブチ殺す為に、高校の時に仲の良かった人達を、
自分発信で集め、吉祥寺で楽しく飲みました。
少しずつ少しずつ、1つ1つ、過去を、糸引く因果を、ブチ殺していきましょう。

ビックリ!自分は宇宙の中心では無い。
小さな宇宙で小さな暮らし?
それとも、小さな暮らしで小さな宇宙?
自分のクリティカルな部分を知られたくないという気持ちは何処から来るのだろうな。
強さとは、正しさへ自動的に向かうことのできる仕組みの把持ではないか。
経験の反復は、価値を創造するぞい。
小さなこころを守っていこう。

芸術作品・人との関わり・身を置く環境、など何でもそうだと思うんだけど、
できるだけ網羅的な手広さかつブレない集中力という両極をバランスよく保ちながら、
自分に与える客体の選択・咀嚼・統合を図ること。
その過程で、自ずと答えみたいなものは出てくるはず。
答えみたいなものは、雪のように降り積もってくるのが常であるけれども、
その様を見ているだけで困憊、というか満足してしまうのが常であった。
それは非常に惜しく、表現として放出することが、自分のためにも切に求められるわけである。
そもそも、人生っていうのがオマージュ作品なわけだから。

1人でいることに付随するつらさよりも、
信じていた人間に裏切られるつらさの方が圧倒的につらいのは自明である一方で、
自分の世界に他人というものが存在するその土俵に立つことすらできておらず、
自分は尚も1人で、いつまでも同じ地平で、
無様にももがき続けているのを見ているのが本当につらすぎる。
他人の世界に自分が存在していない、の方が正しいかもしれない。
イグアナの群れ「ふむ、内向きな傲慢、原因はここにあるわけだな…」

問題は、宇宙(分母)がどれだけ広いか(大きいか)であって、
苦悩(分子)の量は関係ないのではないか?
なにを?そんなに?こだわって?いるの?
僕だって、好きで孤独ごっこやってるわけではないんだけれど。
早く家に帰って泣きたい。

一方、"大人"、"我"が足りてないのでは?と思うことが多い。
それは、シメたものだ。
ひどく傷つきながらも、確実に前に進んでいることを実感できるような人生がいいじゃないですか?



ここは、君との関わりの中心
ここは、特異点 無限に発散する分母
人は、捧げてきた時間という地平にまで到着したとき、愛を語ることができるのではないか。

イマをイマとして自己認識する力
これからは、中心から遠くに離れていくだろう。
ここまできて、尚、自然に寄り縋っている。
それではダメだ。意志が必要なのである。
多少であれ、真(まこと)の意志があれば十分である。
蓋然とした偶然を取得するための意図もあろうが。

もはやこの場所に理由はなく、悠久な時間の抜け殻がそれなりの体積を有している。
ただそれだけのことになってしまった。
材料がそろった予感、みたいのがないよな気がする、何が足りないんだろね。



外人、まさか、アルファベットの羅列なんぞで"意味"を伝えられると思ってんのか?
好きなワルツは「スケーターズ・ワルツ」だよ。
私は、あなたに依存することは絶対にないので、とりあえず安心してくれ。
おい、部分から全体を構築していこうな。



地獄のような場所でも呼吸をすることはできる。
「2個の異なるベクトルの人間が1つになる時、互いの向く方向が異なるほど、和を取るとベクトルが長くなる」
といった言説はナンセンスである。
そうではなくって、"張る"ことのできる次元が拡大するのである。
青春の延長戦みたいなゲームが少し手を掠めたきり、とうとう終了し、
つと瞬きをすると、私は、荒々とした荒野にポイッと放り出されているだろう。
自分の中の一つの物語が、終焉に向かっているのが心の髄に沁みて感じられるのが、とても悲しい。
脳機能の総体、1個の器としての私が、全方位に対してササくれ立ち、
あらゆる感覚器入力というものが、取っ掛かり、堪える。
相当に参っていて戯言も出ない。
なんでもないということがつらいんだね。
好きな人の前ではよく笑うのが良いのでは。
人を安心させる笑顔の習得。
板に付いた不自然は対社会に何を生産するのか。
人生、12歳からトラウマが毎日、更新され続けている。
「あなたは自分が潔癖と思い込んでいるだけ。
そう思い込むことによって、"自分から触れようとしない甘さ"が許され、非常に楽だからね。」
自分が作り出してきたイメージに押し潰され、無くなってしまいそうだ。
肯定も否定もなく、あるがままを受け入れてくれる形式をとる芸術がある。
自分で思っているよりも、自分に関して、誤解がされているようだ。
空虚な気持ちでいるが、これまでとは内容が異なるものであるようなので考察が必要だ。
人生の幸福の確率を上げる為に、私は今日も街に出るぞ。
私は、"正しい"と思うことをやってきたという気持ちだけでここまでやってきたんだ。



呪われた自室の穢れを祓ってくれる除霊師を探しています。
会う人会う人に「パーマ、前髪にはかけなきゃよかったな〜」と言う。
詩にするにしても一言にしかならない毎日を、どれほど繰り返してきたのだろう。
私は、最小のリズムというものは心臓の鼓動だと考えている。
極所から大局まで、自分のリズムは自分で整えるしかない。
生きているとリズムが崩れるのは当然なのだから。
凡ゆるスケールのリズムをこの手で支配したい。
大人になった今、自分の特徴は自分で決めることが"できる"という意識をより強く持つことが大切だ。
送る日常に自信がないためか、いずれにしても他人の共感を得る確率が減ってしまうのはマズイ。
必要以上に胸を張っていても過ぎることはないことに気づく。
経験の冷凍保存のために、広角で、動画・音声を楽に取れてクラウドに飛ばし、
携帯端末から参照できるような、データ管理の敷居が低いというサービスまでも行き届いた、
良いカメラが欲しくなっている...ベタに。
湧き水のような、流れ続けている水は汚くないような気がして。
たまに、えげつない麻婆豆腐を食いたくなるときがある。
自分、もう24だなんて絶対に信じたくない。
日本社会、出生からの時系列で見ると、就職する段階の付近で"スキ"が生まれているようで、
このタイミングでは、意外と"自暴自棄"な生き方がハマるような気がする。
みんなで、いろいろな、知り合いに話しかけよう。
エレベーターでたくさん人と乗り合わせたときは、所望の階に連れて行ってくれることに"賭ける"。
後輩のクソビチ女にされた仕打ちを思い出して、すごいイライラする。
健全な精神をしてたら、先輩が飲んでいるメロンソーダのアイスに親指を突っ込まないと思う。
私が行う娯楽は、前提として他人に語ることを目的にせず、
基本的に自らの精魂の向上や感動を目的とし、精神的に1人用であることが多いので、
自分が夢中になっていることを他人に伝えるような場面が訪れたとき、
支離滅裂な内容を喋ってしまうことが多くて、落ち込む。
でも、社会的には、どんなに薄っぺらい経験であったとしても、
話し方が立って内容を膨らますことができる人が得をしているし、
求められているので、さらに落ち込む。
話し言葉が苦手で、書き言葉が比較的に得意なので、
インターネットくらいでしか自分の話をすることがないが、
より、新しいフィールドを広げる。
書き言葉が得意というのもまた非常に傲慢な話だけど、
飲み会に参加するときに感じる感情に輪郭を与えるとこんな感じになる。

あと、俺を観察対象と、するな。



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geroppii
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