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キェ―――
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いま住んでいる部屋は5階建ての4階。2-3階は吹き抜けの温泉。1階は温泉のロビー。
生活空間に床一枚を隔てて裸の男女がウロウロしていることを想像するとゾッとするというか、ウケてしまう。

下階から蒸気の熱が伝わっているのか、壁にお湯用の配管が通っているのか、室温は平均18-20℃ある。
とうとうこの冬は一度も暖房を使わなかった。夏はどうなるんだろう。

浴室はシャワーのみの造りになっている。その分、部屋がちょっと広い気がしてお得だ。
「湯に浸かりたかったら下に来い」と大家に言われているような、メッセージ性のある間取りである。

あろうことか、1週間の穢れを祓いたい金曜日は温泉がお休みである。
ちょっと前までは毎週土曜日の夜に入っていたのだけど、最近は行ってない。
温泉に新型ウイルス感染のリスクがあるのかないのか、よく分かっていないのだけど、最近は行ってない。

部屋は南向きで、目の前にちょっとした広場のような公園がある。
公園には段違いの鉄棒が3本と、乗れる馬、そして壁際に立派な桜の木がある。
在宅で仕事をしていると気が滅入るので、ベランダから下記のようなものを眺めるのが癒しになっている。

・猫なで声で現れて猫に餌をやるババア(すごい太い明らかな人糞の嫌がらせに遭うもちゃんと片付けたことがあるらしい)
・裸足で木に蹴りを入れ続ける格闘家風の女
・桜の木を中心に「ポコペン」をするガキ
・ハト

特に、ハトの群れの動きは観察していて飽きない。
面白いポイントは枚挙に暇がないが、特に「組織」を感じさせる瞬間が良い。
この話は長くなりそうなので、後日述べることとする。








03/15 水

春のなかった人々へ

日本酒でも開けようかな。
健康に良いのでワインを飲んでいる。ナイツの漫才を見ながらワインを一瓶空けた。

オッ、今夜は一月に一度の形而上的な"ポエムデー"かな、一月か二月に一度、人間が一堂にポエムを喋る日がある。
なんかそういう空気感や時代感みたいなのが社会の総体としてあるんだろう。
「ま~、全員ブチ殺せばいいんじゃないんですか?」という気持ちになる。
ま~

いつもの実のある忠告をくれよ。

"生活"という熟語の、"生きて"、"活きる"という意味の重ね方にイラついてきた。
色々な文脈があると思うけど、社会は人間の墓場だ、と強く思う。
社会がどうのこうのっていうより、25歳以降は死んでいるのと同然だと思う。
数年前から同じ主張をし、進歩がないという実感がある。
そういうことを考えていると、「全員、ブチ殺してしまえ」という短絡的、かつ思考停止な結論に陥りがちだと思う。
でも、それもやっぱり違うと思う。

ぶっちゃけ、父親が死んでしまっても別に悲しまないな、と思っている人
ぶっちゃけ、父親が死んでしまっても別に悲しまないな、と思い込もうとしている人
特に死にたくもないけど、「もうなんかいいかな」と真剣に思いつつも、「人生はもっと明るいはずだ」という希望を捨てきれていない人



仕事が始まってしまったから平日は何もできない、というより、
ただ、年を食っただけなんだろうな、これが加齢なんだろうな、という思い、
或いは、若いっていいね~、とぬかすおじさんの言葉、に対する納得が頭を往復してしまっている。
筋肉少女帯の初期の歌詞(確かCheap Trickという曲)で「缶詰工場ででも働きたくなる」みたいなのがあるけど、
私は本当は新しいモノを生み出したいという気持ちは毛頭なくって、
上から指示されたことを着々とこなすような仕事を求めているのかもしれない、という気持ちに支配されつつある。
エマ・ワトソンの顔面を見るとイライラする位には人格が歪んでしまっている。
清王朝
なんか、単純にもう無理な感じがある。



2016/9/9 (金)の日記

今日は、何もなかった。
今週は、母の手術があり、無事でよかった。明日、お見舞いに行く予定だ。
昔、アニメでよく見ていた「金色のガッシュ!」を大人買いした。
一足先にすべて読み終えた妹は、沸点が低いという感想を述べていた。
登場人物の言動にいまいちリアリティが感じられないことが多いが、まっすぐさが心を打つ。
今週、仕事はVisualizationばかりをしていて、全然進まなかった。
バカなんだと思う。
人の誕生日におめでとうを言うという、小さいタスクを達成した。
伝えたいときに、伝えたいことを、ちゃんと伝えられるようになれるといいな、と思った。



2016/9/11 (日)の日記

今日も、何もなかった。
おくらをちょっと茹でてやっただけだが、料理がなかなか楽しい感じがした。
「金色のガッシュ!」 を、ファウード編くらいから最後まで一気に読んでしまった。
フォルゴレとキャンチョメの「カバさんの話」が良かった。
取ってつけたようなものだったけど。
でも、人間って大体「取ってつけたようなもの」なんじゃないか?
普段、正しいと思い込んでいる真実は、過去の事実の整合性を付けるために、お風呂場で考えた内容に過ぎない。
昨日は、母のお見舞いに行き、ネットでストーキングしている人のライブに行った。
ライブハウス、およびその界隈に対する怨念レベルが上がった。
私が知っている人々の時間が、私と同じ速さで流れ・消費されているのが、信じられないことがある。



2016/9/17 (土)の日記

今日も、何もなかった。
起きて、寝て、起きて、コンタクトを買って、寝て、ガキ使見て、B級映画見て、酒を飲んでいる。
昨日は、5か月の間、仕事で取り組んでいた研修の発表会があった。
マネジメント層の人に発表する人の中に選ばれたのが、良かった。
認められた感じがちょっとした。
夜の飲み会は、カオスだったが、なんかいいなと思える空間があった。
9連休の予定がほとんどない、という事態に陥っており、どうするかを考えることもなく、徒に一日を消費した。
学生時代は、毎日が連休みたいなもんだったのに、そんなに連休が特別なことなのか。
母親の病気も落ち着いてきそうな感じがあるし、いい加減1人になりたいという気持ちがある。
まあ、なんかもうどうでもいい。



2016/9/18 (日)の日記

今日も、事件らしい事件はない。
叔母さんと従妹が来た。
従妹のiPhoneをおばあちゃんが水没させたらしいので、ドライヤーを貸した。
ショートしたら壊れるから水が抜けるまで使わないほうがいいって言ってるそばから、iPhoneをいじっているので、「バカなんだろうな」と思った。
iPhoneは壊れたらしい。
この1つ下の従妹は、気づかぬ間に、#グラドル自画撮り部 のタグをつけてエロ写メを全世界に向けてアップロードするようなアングラアイドルをやっている。
そのアカウントを見ては複雑な気持ちになる、というのをたまにする。
お昼におみこしが庭に来た。
叔母さんは、おみこし停留中の10分間、ずっと写真を撮り続けていた。
新しいと思っていた努力も、ただの消費活動になり果てている感じがある。
もう次のターンを検討する必要があるのではないか。
おそらく、やるべきことのやり方は仕事と同じなんだよな。
それがPersonalな場合、直接に向き合いたくないだけ。
分かっているんだけど覚悟が足りないだけ。やれやれ。



2016/08/28 (日) の日記

今日は、高円寺まで髪を切りに行った。
担当の美容師が好きとか技術が高いとかではないんだけど、その美容室には3年くらい通っている。
美容師の人は、高圧的な雰囲気が滲んでるような人で、むしろあんまり好きなタイプではない。
高円寺では、阿波踊りが行われる様子だった。
ガラの悪そうな人々が昼間から道路を占拠して酒を飲んでいたのは、かなり羨ましかった。
美容師の人に、Hot pepper beautyのサイトに口コミを書かなかったのを怒られてしまった。
頭部をなすがままにされながら、路肩に駐輪したピンクの自転車が、阿波踊りの通行を阻害しているのを横目で見た。
その後、行ったことのないマクドナルドに出掛けた。
3階の席は人もまばらで、割と快適な「当たり店」であった。
昨日は、金曜日に食事をする誘いを行い、無事にOKを貰った。
そのアイデアは先週くらいから思いついて以降、ずっと考えていたのだが、思い切って送信ボタンを押すことに成功した。
そのとき、指先の機械的な動きによって、ある程度の気持ちを伝えられる世界を不思議に思った。
今度こそ、過去の因縁をすべて断ち切ることができればと思う。
一昨日は、研修の発表内容を部長さんがチェックする会があった。
内容が良かったのか悪かったのかはイマイチ分からなかったが、喋り方が圧倒的に悪いのが自覚され、かなり落ち込んだ。
予定のキャンセルや、他人のコンタクトが研究室の後輩からくらいしか来ないなど、この夏も圧倒的な孤独を感じる。
僕にもっと世界に関わって行けというのか。それもいいだろう。
精一杯とは言わないまでも、少しずつ進んでいるという「誤魔化しじゃない実感」があると、とても安らかな感じがする。



2016/09/02 (金) の日記

そろそろ研修が収束しそうという所で、気が抜けている感じがあった。
人から何かを褒めてもらうとき、なぜか素直に受け取らないことが多い、という反省があった。
また、技術の高みを目指す旅から逃げてるんじゃないか、という疑いが起こった。
16:00を過ぎ、別の研修の説明を聞きに行った。
その後、もう少しで定時だったので、食堂で作業して時間を潰そうとしていたら、
考え方がかなり似ている同期の人も同じことを考えていたので、一緒に食堂に行って作業をした。
無意味に「疲れた~」と言ってしまう癖を直したい、と言いながら思った。
なんらかのぎこちない空気、危うい均衡の感じが2人を包んでいた。
定時後、その同期の人と一緒に満員電車で帰った。
満員電車の中でちりじりになったのは、暗示的であった。
互いに「お元気で」と言いながら別れた。
その後、土曜日に約束していた因縁の人物との待ち合わせに向かった。
その人物は、比喩的な意味ではなく、定量的に考えても、自分の半生における混濁としたトラウマの渦の中心に鎮座していた。
その幻影を取り払うために臨んだ約1年半前のバトルでは、要領を得ない結果に終わっていた。
今度こそは、と奮いながら電車に揺られても、頭の中はよくまとまらなかった。
その人物は、胃腸炎に罹っていた。
どうでもいい話を長々とした後、「最近、好きな人いたことある?」という相手の勢いのある切り出しによって、空気が変わるのを感じた。
食事を終え、暖かいものを飲んだ後も、カフェにまで行って、 死ぬほど話し込んだ。
話の中で、10年来、心に秘めてきたものを顕わにした瞬間があった。
普通に解散した後、家で酒を飲みながら、人間のすべては思い込みなんだな、と改めて身に感じた。
そして、1つ大きな節目を迎えることができたかなあ、と漠然と考えていた。





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