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キェ―――
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雨に打たれる夢。内容はない。
夜、ビルや街頭の明かりが見える開けた場所で、ただ雨に打たれ続ける。
雨粒が地表を打つ音の1つづつが大きく響き、轟音に聞こえる。
また、雨粒の大きさも通常より少し大きく、パチンコ玉くらいのサイズがある。
雨粒が地表付近で速度を増し、最大速度で全身を打つのが分かる。
轟音と打撃の感覚は、痛いというよりはむしろ、
大いなるものに全身が包み込まれるような心地よさがある。
時どき頭を上げると、自分を中心にして暗い空に雨粒の軌道が放射状になって見える。
同じ夢を一晩に3回見た。
覚醒してから、「心偽れずに 思い出すことさえも やがて 僕の心を洗うだろう」という言葉が想起され、
尾崎豊の街路樹という曲のフィナーレと同じだな、と素朴に思った。



「マインクラフト」の世界にいる夢。
砂漠地帯において、地下拠点の脇の地上にベッドを置き、足を組んで仰向けに寝っころがる。
青空を仰ぎ、乾いた空気を吸ったり吐いたりしながら、
RICOHの「THETA」でピラミッドとも知れない巨大な構造物の写真を撮るなどして、くつろぐ。
暫くすると、傾斜の坂になっている前方で人が動いているのが、遠くの点のように見える。
意識下では「ラッキー、荷物が奪える。」などと悠長に構えており、
その場の空気感を満喫するのに夢中になっている。
その後、ふと先程の人物の行方が気になり始め、辺りをキョロキョロと見わたす。
すると、すぐ近く2-3 m前の茂みに丸い銃口の先を見つけ、自分の置かれている状況を即座に理解する。
とっさにベッドの中に潜りこんで丸くなる。
ガタガタ震えていると、間もなく自らの死のイメージが瞬間的に爆発し、目覚める。



「ゼルダの伝説」に出てくる葉っぱのアイテムのようなもので、
天井の高い立方体状の部屋を壁から壁へ移動することを繰り返す夢。
地上からは「ハム太郎」に出てくるマフラーちゃんなどの数人が追いかけてくる。
自分の置かれているそんな状況に苦笑いしながらも、
明らかに有利な立場において彼らを翻弄する瞬間に快感を滲ませていた。
そして、夢中の自分ですら飽きてしまう程の長きにわたり、空中逃避の動作を繰り返す。
そのうち、地上からの追っ手の興味はなくなってしまったことに感づいていながらも、
壁から壁へと飛び移る作業をどうにも辞めることができなかった。
最中なぜか耳元でボリュームを徐々に上げていき、
今や音波で体が震えあがる程の爆音で響いている「ハム太郎」のラップ調のEDテーマ曲に嫌気が差し、
思い切って精神に力を入れ、自ら夢の世界から醒めた。
直後、暗示的にしては分かりやすすぎる夢が出現する現象に失望しながらも、
歯磨きをしに行った。(AM 3:30)



エモ字

この形も終局の中の一つ
グローサリー・ストア
ポライト・ピープル
ブレーキング・ポイント
フュー・アンツ
イナフ・ヤング
タイム・アウト
トラスト・ナバディ
破局への足音
カトパン・イン・ザ・スカイ



【他タイトル候補】
スティージョ・ブブス
ひよこバトル
トロッコ問題

この数日、ただ漠然と息苦しく、蓄積された気状エネルギーの体積が増している実感があり、もう人ひとりの入れ物では抑えられない風なのに、言葉の毒を噴出したくならないのを不思議がっている。今は自由のはずだ、私はとっても自由のはずなんだ...。どうせ、「自由であるはずの私は、何も不自由せず、自由らしい生活を送っていなければならない」という観念が強迫しているわけだろうが、私は細かい所まで徹底していないと気が済まないことが多いため、「そもそも完璧に自由な生活なんてものはどう足掻いても達成できない」という観念も頭の片隅にあって、程度というものを知らない私は、半端な自由を獲得する努力をしようとしない傾向がある。傍目には、ループした話題かもしれません。数年前、左翼の連中が主張していることに関して、それらは至極"正論"であるだけあってどうしても無視できないで頭を悩ませているときがあった。その頃、元AKB48の篠田麻里子が写りの良い自分の写真と写りの悪い他人の写真を並べることで他人を貶めている印象のブログを見て、徹底を目指した所で現実には全てを完全に満たした徹底という状態を達成できない、という背理法的な意味でもって、徹底という概念はそれ自身が徹底でない机上であり、ゆえに、徹底を強制される必要はない(かと言って徹底を目指すこと自体は別に否定はされない)、左翼の正体も徹底ではなく所詮"先行する目的"であり、連中が主張することに常に耳を傾けている"必要"はない、と思った。と、考えたのは良かったのだが、自分の方にその刃先を向けて余分を切り落とすことはなかった。他人が掲げる徹底なんてものに注力する必要がなければ、自分が掲げてきて一応貫き通してきた徹底なんてものに注力する"必要"はなく、何なら場合によってはあっさりと殺してやる"必要"があることに気づいた。この辺りは、日常の深浅あらゆるレイヤで無自覚に下している判断であると同時に、その片寄り・バランスが"成人男性"の課題であると考えられ、斜め上から自分を見つめ、なるべく等方向にフラットでいること(および前提としての方向の自覚)、その上で意識的な徹底・執着・集中を行うことが望ましいのではないのでしょうか。まずは、重要で致命的でないような新しい事柄に次々と手を伸ばしていって、中途半端でも納得できるように、中途半端であることそれだけに追われないようにする癖をつけるのがいいかもしれない。まずは、動物と植物を育てようかな。



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