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キェ―――
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ここは狭すぎる
生きる才能が無い
もう活動限界が訪れつつある



立ち向かおう 恐れることはない My future






















瞬間を切り出せば楽しかった出来事は、
その中で少しでもショックであった部分ばかりを反芻してしまうので、
楽しかった出来事も、時が経つにつれて暗黒色に染まる。
なんらかの手段によって"瞬間におけるプラスの感情"を保管しておき、
必要に応じて引き出す必要があるわけで、
それが"写真の形"を取る事が多いわけか?
人生をしている我々は、常に言い訳を、予防線を、張り巡らそう。

・・・

- 分かりきっているじゃない?
現在の点検が完全に徹底されていった先には、
未来、つまり現在が存在しない漠然とした"次"があるだけしょう?
徹底された"次"に現在は存在し得ないのではないのですか?

- んん、でも、旧来から議論されている徹底のボーダーの引き方が問題です。
それとも、あなたは現在の点検は全く必要がないと主張しているのでしょうか。



- 輝かしい瞬間瞬間をペンキで塗り替えているのはあなた自身ではないですか?
そのままにしておけばいいのに。
勝手なことしておいて、被害者意識で私たちを憎んでいるんでしょう。
はっきり言って、迷惑です。

- でもでも、現在を形成するのは現在であるというのは恐らくあなたも認める所で、
現在というものを良くするためには、
過去の総和としての現在を絶えず点検しておく必要があると思っているんです。



- お前、不幸ぶるのやめろよ。
お前は、傍から、私から見たら十分な幸せモノだからな。
自分の中の不幸をわざわざ掘り起こそうとするなよ。
おとなしく幸せを掘り起こし、認めろよ。

- 成る程、それも承知しております。
しかしながら、そうでもしないとこれまでの感情が報われないような気がしていて、
それはとても悔しいことだと思うんです。
そもそも、私は、そんなに悪いことしてますか?

嗚呼、美味しい食べ物をたくさん食べれば万事が解決するような気がしている。



人が主張していることは相当分かりやすく書いていないと理解できない
夜はひとりで身悶えして、
その状態に変化を与えるために昼間は外に関与しようと努めては一々傷ついて、
をこの先どのくらい繰り返さなければならないのだろう
なんだか他人を見ているだけで泣けてくる
すれ違う人々は色々な顔をしすぎていて、
なにが悲しいんだかわからない

指導教員(ペテン師、おそらく立件秒読み)が、明石家さんま・
マツコデラックス・ブラックマヨネーズなどが出ている番組に出ると聞いて落ち込んでいる
「体は資本」ってマジっぽいな
私は、はあちゅうに象徴される女子力男根クラスタは必ずブッ飛ばすからな
私と 反社会活動 始めませんか?
私は自分の顔が嫌い、特に横顔が嫌い
みんなは自分の顔が嫌いすぎて持ちかけていた自信を喪失することはないのかな
美樹さやかの魔女化はフィクション上のメタファであるけれども、
リアルにおける"美樹さやか"はどういった成人になっているのですか?
繰り返す、部屋の乱れは心の乱れですよ
Sigur RosのI Gaerという曲はサイコー
エスカレーター作った奴、天才だな
私もそのうち頭の中が仕事と家庭のことばかりに支配される日が来るのでしょうか
心の形がどんどん歪み 心がどんどん貧弱になっている

また、"あの"夏がやってくるな




【他タイトル候補】
スティージョ・ブブス
ひよこバトル
トロッコ問題

この数日、ただ漠然と息苦しく、蓄積された気状エネルギーの体積が増している実感があり、もう人ひとりの入れ物では抑えられない風なのに、言葉の毒を噴出したくならないのを不思議がっている。今は自由のはずだ、私はとっても自由のはずなんだ...。どうせ、「自由であるはずの私は、何も不自由せず、自由らしい生活を送っていなければならない」という観念が強迫しているわけだろうが、私は細かい所まで徹底していないと気が済まないことが多いため、「そもそも完璧に自由な生活なんてものはどう足掻いても達成できない」という観念も頭の片隅にあって、程度というものを知らない私は、半端な自由を獲得する努力をしようとしない傾向がある。傍目には、ループした話題かもしれません。数年前、左翼の連中が主張していることに関して、それらは至極"正論"であるだけあってどうしても無視できないで頭を悩ませているときがあった。その頃、元AKB48の篠田麻里子が写りの良い自分の写真と写りの悪い他人の写真を並べることで他人を貶めている印象のブログを見て、徹底を目指した所で現実には全てを完全に満たした徹底という状態を達成できない、という背理法的な意味でもって、徹底という概念はそれ自身が徹底でない机上であり、ゆえに、徹底を強制される必要はない(かと言って徹底を目指すこと自体は別に否定はされない)、左翼の正体も徹底ではなく所詮"先行する目的"であり、連中が主張することに常に耳を傾けている"必要"はない、と思った。と、考えたのは良かったのだが、自分の方にその刃先を向けて余分を切り落とすことはなかった。他人が掲げる徹底なんてものに注力する必要がなければ、自分が掲げてきて一応貫き通してきた徹底なんてものに注力する"必要"はなく、何なら場合によってはあっさりと殺してやる"必要"があることに気づいた。この辺りは、日常の深浅あらゆるレイヤで無自覚に下している判断であると同時に、その片寄り・バランスが"成人男性"の課題であると考えられ、斜め上から自分を見つめ、なるべく等方向にフラットでいること(および前提としての方向の自覚)、その上で意識的な徹底・執着・集中を行うことが望ましいのではないのでしょうか。まずは、重要で致命的でないような新しい事柄に次々と手を伸ばしていって、中途半端でも納得できるように、中途半端であることそれだけに追われないようにする癖をつけるのがいいかもしれない。まずは、動物と植物を育てようかな。



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