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キェ―――
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正直いって、今年は何らかの義務感で日記やブログを書き、日々の振り返りを行っている節がある。
充実というと語弊があるため、敢えてその言葉を使わなかった。
 
今年は社会人になって、人と一緒にいる時間が多くなった。
1人の時間は、音楽を聴きながら布団の中で寝っ転がっていることが多い。
 
自分を駆り立てる義務感の根源である所の連続性として、このブログがあると気づいた。
そこで、一年間の集大成と意識の底で捉えていると思われる、12月のブログ投稿を振り返ってみた。











先日、友だちのデザイナーが自分の人格を「ユニバーサル・デザイン」と評してくれたことがあって、嬉しかった。
2010-2013辺りの、底の底の底の底があってこその現在があろう。
 
我ながら、過去のブログ記事はギリギリの精神状況下で紡ぎだされた珠玉のフレーズが満載なので適宜参照されたい。
こうした過去の振り返り行動が、パッとしない現在に勇気をくれる。
かといって、過去に唱えた呪詛に突き動かされる筋合いはないのも事実だが。
 
2016 (社1)を振り返った時、「飛躍の年」という言葉がまず思い浮かんだ。
より厳密な印象を述べると、「助走をつけて踏みこんだ所で、臆病にも時間を止め、停滞している」。
来年こそは、飛躍の年であらんことを。
 
誠の心で、引き続き頑張っていきましょう。




 






この数年は、思い込みが強い人間は、アラが目立つために弱い、とほとんど見下すような気持ちで眺めていた。
この数年は、自分は、視野を広く保ち、他人のフリに学びながら進まねばならない、と決めつけていた。
この数年は、他人という鏡を通して自分を把握することに努めていた。
この数年は、目指す方角へ、バランスを保ちながら最適解を模索するような進み方をしているつもりであった。

でも、その進み方は、低燃費かつ低速であることに苛立ちを覚えることが多くなった。
それに対して、思い込みが強い人間が持つ、力強い推進力を羨ましく思うことが多くなった。
そもそも、そうやって、ある考え方を狭く悪いものだ、と偏見で決めつけること自体が思い込みである訳であった。

僕は、思い込みが自らを締め付け苦しめていることに成人してやっと気づき、積極的にその殻を認識して捨てる努力をしてきた。
思い込みとは何だろうか。
思い込みは、自己完結した決めつけ状態であり、自分だけの世界では認識することができない。

思い込みで決めつけていった先に存在している世界は、細く、狭くなっていく一方のような気がしていた。
でも当然、正解とか、進んでいく先の道っていうのは、枝分かれしていて、幾通りもあるのに気づいた。
進んでいく道の先には、それぞれに広がりや幸せがあるような風で、意外に思った。

そんな状況で、今、どう振る舞うのが最善なのかが分からない。
以前は、あの人が驚いてくれる、あの人が好きになってくれる、といった他人への過度の期待という思い込みが核にあった。
そして、暴かれる現実とのギャップを一つひとつ呪う人生だった。

捨て去ってきた思い込みの殻を、今度は、拾い集めるような作業をしなければならないのか?
このアイデアは随分前からあるものだが、いまだに答えが出ていない。
天才とは、ある能力が突出してるのはもちろん、それ以外の執着心が少ない性質の人間だと思う。
言葉を変えると、自分を取り巻く状況を俯瞰しながらも、激しい思い込みによる集中が自然にできる人のことだと思う。
僕は天才ではないので、頭で考えて、孕んだ矛盾を棚上げしてたまに眺めながら、実行に移していかなければならない。



2016/9/9 (金)の日記

今日は、何もなかった。
今週は、母の手術があり、無事でよかった。明日、お見舞いに行く予定だ。
昔、アニメでよく見ていた「金色のガッシュ!」を大人買いした。
一足先にすべて読み終えた妹は、沸点が低いという感想を述べていた。
登場人物の言動にいまいちリアリティが感じられないことが多いが、まっすぐさが心を打つ。
今週、仕事はVisualizationばかりをしていて、全然進まなかった。
バカなんだと思う。
人の誕生日におめでとうを言うという、小さいタスクを達成した。
伝えたいときに、伝えたいことを、ちゃんと伝えられるようになれるといいな、と思った。



2016/9/11 (日)の日記

今日も、何もなかった。
おくらをちょっと茹でてやっただけだが、料理がなかなか楽しい感じがした。
「金色のガッシュ!」 を、ファウード編くらいから最後まで一気に読んでしまった。
フォルゴレとキャンチョメの「カバさんの話」が良かった。
取ってつけたようなものだったけど。
でも、人間って大体「取ってつけたようなもの」なんじゃないか?
普段、正しいと思い込んでいる真実は、過去の事実の整合性を付けるために、お風呂場で考えた内容に過ぎない。
昨日は、母のお見舞いに行き、ネットでストーキングしている人のライブに行った。
ライブハウス、およびその界隈に対する怨念レベルが上がった。
私が知っている人々の時間が、私と同じ速さで流れ・消費されているのが、信じられないことがある。



2016/9/17 (土)の日記

今日も、何もなかった。
起きて、寝て、起きて、コンタクトを買って、寝て、ガキ使見て、B級映画見て、酒を飲んでいる。
昨日は、5か月の間、仕事で取り組んでいた研修の発表会があった。
マネジメント層の人に発表する人の中に選ばれたのが、良かった。
認められた感じがちょっとした。
夜の飲み会は、カオスだったが、なんかいいなと思える空間があった。
9連休の予定がほとんどない、という事態に陥っており、どうするかを考えることもなく、徒に一日を消費した。
学生時代は、毎日が連休みたいなもんだったのに、そんなに連休が特別なことなのか。
母親の病気も落ち着いてきそうな感じがあるし、いい加減1人になりたいという気持ちがある。
まあ、なんかもうどうでもいい。



2016/9/18 (日)の日記

今日も、事件らしい事件はない。
叔母さんと従妹が来た。
従妹のiPhoneをおばあちゃんが水没させたらしいので、ドライヤーを貸した。
ショートしたら壊れるから水が抜けるまで使わないほうがいいって言ってるそばから、iPhoneをいじっているので、「バカなんだろうな」と思った。
iPhoneは壊れたらしい。
この1つ下の従妹は、気づかぬ間に、#グラドル自画撮り部 のタグをつけてエロ写メを全世界に向けてアップロードするようなアングラアイドルをやっている。
そのアカウントを見ては複雑な気持ちになる、というのをたまにする。
お昼におみこしが庭に来た。
叔母さんは、おみこし停留中の10分間、ずっと写真を撮り続けていた。
新しいと思っていた努力も、ただの消費活動になり果てている感じがある。
もう次のターンを検討する必要があるのではないか。
おそらく、やるべきことのやり方は仕事と同じなんだよな。
それがPersonalな場合、直接に向き合いたくないだけ。
分かっているんだけど覚悟が足りないだけ。やれやれ。



2016/08/28 (日) の日記

今日は、高円寺まで髪を切りに行った。
担当の美容師が好きとか技術が高いとかではないんだけど、その美容室には3年くらい通っている。
美容師の人は、高圧的な雰囲気が滲んでるような人で、むしろあんまり好きなタイプではない。
高円寺では、阿波踊りが行われる様子だった。
ガラの悪そうな人々が昼間から道路を占拠して酒を飲んでいたのは、かなり羨ましかった。
美容師の人に、Hot pepper beautyのサイトに口コミを書かなかったのを怒られてしまった。
頭部をなすがままにされながら、路肩に駐輪したピンクの自転車が、阿波踊りの通行を阻害しているのを横目で見た。
その後、行ったことのないマクドナルドに出掛けた。
3階の席は人もまばらで、割と快適な「当たり店」であった。
昨日は、金曜日に食事をする誘いを行い、無事にOKを貰った。
そのアイデアは先週くらいから思いついて以降、ずっと考えていたのだが、思い切って送信ボタンを押すことに成功した。
そのとき、指先の機械的な動きによって、ある程度の気持ちを伝えられる世界を不思議に思った。
今度こそ、過去の因縁をすべて断ち切ることができればと思う。
一昨日は、研修の発表内容を部長さんがチェックする会があった。
内容が良かったのか悪かったのかはイマイチ分からなかったが、喋り方が圧倒的に悪いのが自覚され、かなり落ち込んだ。
予定のキャンセルや、他人のコンタクトが研究室の後輩からくらいしか来ないなど、この夏も圧倒的な孤独を感じる。
僕にもっと世界に関わって行けというのか。それもいいだろう。
精一杯とは言わないまでも、少しずつ進んでいるという「誤魔化しじゃない実感」があると、とても安らかな感じがする。



2016/09/02 (金) の日記

そろそろ研修が収束しそうという所で、気が抜けている感じがあった。
人から何かを褒めてもらうとき、なぜか素直に受け取らないことが多い、という反省があった。
また、技術の高みを目指す旅から逃げてるんじゃないか、という疑いが起こった。
16:00を過ぎ、別の研修の説明を聞きに行った。
その後、もう少しで定時だったので、食堂で作業して時間を潰そうとしていたら、
考え方がかなり似ている同期の人も同じことを考えていたので、一緒に食堂に行って作業をした。
無意味に「疲れた~」と言ってしまう癖を直したい、と言いながら思った。
なんらかのぎこちない空気、危うい均衡の感じが2人を包んでいた。
定時後、その同期の人と一緒に満員電車で帰った。
満員電車の中でちりじりになったのは、暗示的であった。
互いに「お元気で」と言いながら別れた。
その後、土曜日に約束していた因縁の人物との待ち合わせに向かった。
その人物は、比喩的な意味ではなく、定量的に考えても、自分の半生における混濁としたトラウマの渦の中心に鎮座していた。
その幻影を取り払うために臨んだ約1年半前のバトルでは、要領を得ない結果に終わっていた。
今度こそは、と奮いながら電車に揺られても、頭の中はよくまとまらなかった。
その人物は、胃腸炎に罹っていた。
どうでもいい話を長々とした後、「最近、好きな人いたことある?」という相手の勢いのある切り出しによって、空気が変わるのを感じた。
食事を終え、暖かいものを飲んだ後も、カフェにまで行って、 死ぬほど話し込んだ。
話の中で、10年来、心に秘めてきたものを顕わにした瞬間があった。
普通に解散した後、家で酒を飲みながら、人間のすべては思い込みなんだな、と改めて身に感じた。
そして、1つ大きな節目を迎えることができたかなあ、と漠然と考えていた。





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