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キェ―――
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もつれた因果を見下ろして、君のことばかり考えている。そう思っているような気がしているだけで、この世界というものはこれから何年かかっても理解はできないだろう。自由は二つあれば、かなり自由だ。自分が自由であると信じ込むことができれば、好青年あるいは狂ったフリがかなり板についてくる。その不自由さ、軸の少なさに対して先端を向けた嘲笑を行なってはいけない。なぜならそれはとても正しい形であるから。その場合でない文脈のみでしか成り立たない議論であるから。いけないというだけで可能ではあり、私はそれを行なうような人間である。タブの右上の×のような人間には我慢がならない。瞬間を見れば正しいが、時系を見る視点に欠けている。この、低く狭く暗くて汚らしい私の空間には試行は無く、錯誤にあふれている。待ち受けの怯えたピカチュウは何も語ってはくれない。ネタが揃うまで、もつれたなりに粘って粘って、身辺整理を続けているだけの毎日は今考えうる最悪の下を生み出しそうだ。自由度を確保したまま動き続けていき、筋を通していった先に快感を得ることを目指すのが人生か。何が自分を創ってきたかが分かれば創っていくことができるとすると、私には基本的な技術と手法の習得が必要であることは明白であるのに、駆り立てていくもの、必然性が足りない。社会全体に蔓延るこのムードこそが平成ゆとり世代の正体である。ゆとりのある生活。後悔が変化を生じ、時代の中における自分の細胞の回復および創発能力に期待する?人間関係において、防御は中程度の攻撃。でもやっぱり、身辺整理は必要。



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