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キェ―――
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・若者のトレンドの地、原宿に行くべ、と思って行ったら
 早々にキャッチに遭って片言へんげん台湾人女に半ば強制的に連行された。
 ちょうど髪を少しだけ切りたかったため、安く上がって結果としてはよかった。味を占めた。

・原宿、今年の夏に初めて行ったとき、小汚い格好をした人間が来る場所ではないな絶望、帰ろう、と
 ヤプーズ聞きながら表参道を歩いていたら芸能事務所の人に声を掛けられたことがあった(これはプチ自慢)。
 怖いんでと何か意味深なことを言って逃げたがこのケースは壷などを買わされた可能性がある。

・いつの間にか女子高生が子供に見えるようになった。
 小学生の時は「あの人は4年生だな」と分かった。
 中学生・高校生の時は部活の先輩が反駁を許さぬ大人さを湛えていた。
 そして今や年下であるはずの当時の先輩達に対する印象は変わっていない。
 こういった感想はその時の自分を基準に相対的に決まるようだ。(絶対的か?よく分からない)
 最近は20代の人に対する観察眼が少し発達してきたように思う。
 歳を取っても、あのジジイは一回り年上ぽいから怖い、とかあのババアは可愛い、とか思うのだろうか?体系的に扱う学問領域があるだろうか?

・清原と男を見せ合う誓いを立てた白痴っぽい彼がどうやって退場させられたかが気になる。

・うちの祖先の右左衛門という人は賭博好きだったらしい。
 聞くところによると近所の神社の禰宜の氏であったらしくて(これが苗字の由来らしい)、
 明治時代の地租改正のときに土地をたくさん貰ったらしいが、賭博でほとんど失ったらしい。
 ・・・

・根が賭博好きの祖母は家族に多額の保険金を掛けている。
 祖母がボケ始めるのはもう時間の問題で、祖母以外その全貌を誰も把握していないという現状は非常に危険である。
 税金対策と言うがバブルのとき大赤字出したという辺りどうも胡散臭い。
 俺が不審な死を遂げようものなら江戸川コナンや杉下右京の類が交友関係を嗅ぎ回るだろう。
 しかし先日「形見だと思って…」とかいって満期保険金でまとまった額の現ナマを受け取ったときはやはり嬉しかった。

・バイトの前に「相棒」の再放送を好きでよく見ているが、バイトに間に合うためには16:30には出発しなければならない。
 その時間帯ではどう転んでも物語は完結しておらず歯がゆい。消化不良のエピソードが山積している。

・こうみえて自分はケチである。賭博なんかもっての外である。まず期待値が悪いし。
 コツコツお金はたまっている。コツコツ何かをしている。慎重に
 でもこれって結局未来への投資という賭け事、ある種一番性質の悪い、

・今が流れて過去になる 今が続く先の未来
 最悪の過去を考えるということ 不確かの未来を考えるということ
 詮じて今、今を悪くするだけでもはや同じことだ 今を殺すことに意味はあるか?
 というようなことは抽象的でJ-popにありがちで当たり前ではあるが明確に自分の言葉にするまで俺は気づかない。
 何が意味だよ意味わかんない...自己に保守的な主義にいい加減嫌気がさしている...

・希望した研究室の定員が溢れているようだが大丈夫だろう。
 元々そこは全く人気がないところであったから選ぶ人も多分そんなに凄くない、といいんだが。
 俺が何でそこにしたかっていうと、いろいろ回ったりして情報を入れた上の勘。根が賭博好きの俺
 とりあえず脳波を定量的に計測して念仏と現実を繋ぐような研究をしようと思っている。


 



に罹っている。不治の病である。
実は小生、小学生の頃に罹病したのであるが、数年の安定期を経、ここにきて重篤化しつつあるようである。
今聴くとはっぴいえんどの人とか当時の偉人達が提供していたこともあって曲もいい。
「白いパラソル」「渚のバルコニー」「秘密の花園」あたりがやばい。ウフフ。



さあ、1PV/月くらいの頻度で「家の中 コオロギ」の検索ワードでやって来る人がいるブログです。更新をしよう。
例によって箇条書きにしようと思っていたところ、一貫性が生じてきた(後記)。






▽前に書きかけて忘れていた記事を発見した。何を言いたかったのかよく分からない。
 
 「「「階層性
   美的感覚と真実の同型対応。同型対応を見つけるのに重要なのはパターンである。形式からの離脱と形式の重圧
   一番低レベルの部分をいかに創るか
   ニューロン、物理法則、ユークリッド4原則に対応するような、ライフゲームでは可能か
   無意識の中に如何に放り込むか、無意識の中から如何に創出するか。
   睡眠とは低いレベルの事象と高いレベルの事象を結ぶ、そういうものなのではないか
   再帰性
   そしてこの自然の多様性である
   溜め込んでいくことが必要なのではないか
   ゲーデルの不完全性定理を中心とした
   各事象におけるレベルの違いというものを認識すること。
   無意識の領域に溜め込み、しかしそれを認識しながら育てていくということ。」」」



▽夜に夢を見るという現象には昔から興味がある。
 前、安部公房さんの本を読んでて、氏が夢日記がよい、と言うのに影響されてしばらく自分もやってみたことがあった。
 (めんどうくさいから最近やってない。ていうか今日からまたやろうかなと今思った)
 それを見返していたところなかなか面白かったのでいくつか採りあげてみる。無修正。
 
 ・ヴォルデモートに見つからないように吉祥寺にかくれる。
 ・の子のタケノコほりの合法性について、都。
 ・ザーメンとワンタンをまちがえる。
 ・ツキノハグマ全滅。人面熊が台頭。かわいい。
 ・(風呂場)小松「210、61.....」 田中:(バシッ)
  小松「生きてる!!生きてる!!」 〃
 ・サイトーにストーカーされて、会うが、あんまりかわいくなかった。制服きてる。
  忘れていた彼女の笑顔(口元?)の断片を垣間見る。そういや。
 ・見てる夢の夢を見た。それは明日からただいわば普通に生きているだけのもので 少し嫌になった。
 
 見た夢の光景はすぐ思い出せなくなってしまうのだけど、夢日記に書いたものは何故か覚えているものが多い。
 ていうか、朝、誰かが見た夢をうれしそうに語ってくることがあるが、こちらはすげーどうでもいいと思うことがたまにある。
 それと同じような気がする。別に消さないけど。

▽他人の見る生理学的な夢はどうでもいいが、
 他人が語る将来のビジョンとしての夢も割とどうでもいいという点で、他人の夢はどうでもいいと結論付けることができよう。
 あと、夢という日本語にはそういった二つの意味があって、うまいもんだなあと思う。



▽最近まで期末テストがあった。
 翌日に控えた確率論の勉強をしていて、意味の分からない問題群にずっと対面しているうちに、
 頭の中で分散やら畳み込み積分やらがぐるぐる回る状態になって、
 不意に何故か「あ、もう大丈夫だわ」と思って早くに寝てしまった。
 結局その試験はけっこうできた。今のミサワぽい。

▽よく心理テストとかで「物事をよく考えてから行動するほうですか?」とか言うものがある。
 正直言って僕はNOで、それができればいいなあと思いながらも、
 その場では考えが及ばずにただなんとなく行動しているのが実際。
 でもそんな中で、漠然としているがそれでいてはっきりとした印象を抱いている。
 なんか意味深だけど、なんかこう本当になんとなく、良いか悪いか、快か不快か、といった感情、直感がある。
 たぶん現れてくる行動は基本的にその印象のベクトルに沿っていると思う。
 そしてそういった一連の出来事を、あとになって反芻していると、昔からいろいろと後悔することが多いが、
 それはまあ今もいつもあることで、それに加えて最近になって、そのとき抱いていた印象というものを精査する時、
 論理の飛躍と飛躍を経てなかなか合理的だったりして驚くことがある。
 (至極当たり前のことをすげー大げさに書いているな…)



▽人間の無意識の可能性について、これを書きながら考えている。
 よく聞く話で、人間は脳の97%は使ってないという。
 詳しいことはよう知らんが、やはり無意識の領域で使っているんじゃないかなあ。
 ここで、冒頭の文章のスクラップ
 「無意識の中に如何に放り込むか、無意識の中から如何に創出するか。
  無意識の領域に溜め込み、しかしそれを認識しながら育てていくということ。
  睡眠とは低いレベルの事象と高いレベルの事象を結ぶ、そういうものなのではないか。」
 何かの引用だったか自分で拵えたか忘れた。
 無意識の可能性を突き詰めて行った先の創造性、などといったことを個人的に考えている。
 そこで睡眠や夢というものがその鍵になってくると思うのです。
 これもよく言うところでは、夢は無意識の発現、夢日記は無意識の作用を強くしてやばいというもの。
 以上まとまりの無い文章になってしまった。言いたいのはこんな所でした。

▽あとオマケに、これは希望的推測ではあるが、先程の例でいうと、
 確率論の知識、まあ一般に内容を問わず何かしらの纏まった知識を脳内に雑多に放り込むと、
 これまでに育んできた低レベル層の同型対応として、
 睡眠を通じてある程度それらを結合してくれて、目覚めるとより高い次元や別次元の思考の塊が生じている、
 過剰な反芻によって心象の元型が鍛えられ、元型から生じる直感が深く考えたものと同質のものとなる、
 とかだと、なんか報われる感じでうれしい。一朝一夕では無理だよ、みたいな。



▽ていうか一々予防線を張らないと文章を書けなかったか俺は?
 (という予防線っていう予防線、以下メタ)

▽自身の人生において、多くの面で思考停止してるような奴らは、
 ある意味アイデンティティの土台がしっかりとしているのでそれなりのモチベーションがあって、
 目指す方向に努力していけるから、当然その方向を向いた結果も出ていて、いい思いをしていて、むかつく。
 思考停止をしていることに自分で気づいていないから幸せだ。
 マッチョの腕立て伏せ。嫌な世界だ。









 



やっぱ、なんだかんだ言って菅野美穂だと思う。
 



総じてどうでもいい話題。
ずいぶん前に流行ったんだろうけど、動画・空気を読まないゴロリが笑えた。
そういえば小さい時はつくってあそぼ毎回楽しみにしていたなあと思った。

そして、話題?のY/Nの質問に答えるとランプの魔人がキャラクターをあてるやつ→これがいろいろ凄い。
このテンプレートはリンクが見にくい。
僕はほとんどマンガアニメとかしないなりに、とりあえずやってみたらすぐ当たりました。
しかもキャラクターだけじゃなくて実在するのでもOKで、ストレートで当てられると気分はフクザツ。

こういう利用するだけ強くなるみたいな集合知の技術って最早しゃぶりつくされたテーマなのかと思った。
amazonとかでも思わず感心するようなサービスってあんまり見かけない気がします。
単に同じジャンルの括りの人気商品ではなくて、ユーザーの好みと集合知とを照らし合わせて、
その中でも微妙な差異、さらには一見まったく関係のない他ジャンルも跨ったユーザーの趣向(実は深いところでつながっている)を反映した、
未知なる商品の提供、ができると思った。本、音楽エトセトラ。
面白いけど面白味は無いか。つーかgoogleあたりがやってそうだわ。

それと、さっきのランプの魔人、まあ当たり前の話ではあるが、星の数のキャラクターからある程度の情報があれば、
枝葉の如く分かれて概ね特定できるもんなんだなあと思った。
逆に言えば、これも至極当然だけれども、考えてみれば俺なんかを構成する変数は僅かであるという無常に浸った。
小さな情報の積分と集合知で何だかんだで人物像は割れてくると思う。履歴は個人情報云々もそれ故か。
ここで提案、ヒキオタがつくったロボット型プログラムがブログ、mixi、twitter等を巡回したりして、
個人情報・性格やらを特定、蓄積して良からぬ事々を起こすというSF。
で、人々はそれを錯乱させようと敢えて偽りの情報を流そうとめいいっぱい行動したりするんだけど、
日々の反復でそれが習性になってたりわけわかんなくなってる自分に気付いた時、じゃあ俺はいったい何なんだ、みたいな。
しかし、結局その差異性は人と人との間柄がうんぬんかんぬん、と収束に向かう。意味わからん。

あと、テレビ見てて広島・長崎をゆっくり見たいと思った。
というか、いろいろなところに旅行に出かけていろいろなものを見たいなあと思って思って、いつも思っているだけである。あーもういい

 



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