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キェ―――
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雑感。本当に雑感。

・いい感じに温かくなってきましたね。
・頑張ったら広告を下に追いやれた。
・なんか最近の記事見てるとまるで意識の高い学生みたいじゃないかと思う。それはそれでよい。?
・意識の高い学生のブログ等を見るとコイツ意識高いなて思うね。どこか後味の悪い。
・最近テレビはご飯食べてるとき(いいともともやさまくらい)しか見てなくて、なんか疎い。
・一昨日から早朝に近所を徘徊する習慣をつけようと決めたが、イマイチちゃんと起きれなかったし、雨という名目で中止にした。
・mixiの廃れ具合に笑った。永遠の天下だと思っていたんだけど。
・学校が始まるまでまだ1ヶ月くらいある。
・そして地震から1年経つ。1年間のギャップが小さくなったというのは感じる所です。
・バイトで検便を強要されている。
・シーシェパードはちゃんと活動しているのか?
・「マッスルミュージカル」は死語か?
・アゴがやや割れしているのではないかという疑念が生じる。
・中東系の黒人と友達になりたい。よくわかんないけど。ていうか外人一般。
・先日、人間の毛髪に関して「こう、育毛曲線と脱毛曲線の交点が…」と幾分熱く語ってしまったことを後悔している。
・日本はあらゆる意味で終わっています。
・唯一の一般論:一般論というものは存在しない、と思った。
・何しろ言葉が欲しい。ハンターハンターのネタバレはもういい。
・ていうか転生をテーマとした念を包括する概念が出てくるに違いない。すべてが1本の線でつながるような。
・昔のメモ帳に書いてあった嫌な言葉:
 手芸の修練を怠り始めた時、人はそういった種類の観念(←自我個性独創的表現)に逃げ込み、いつかそこから抜けだせなくなる
・弱者は弱者故に強い。それでいて弱いのだからどうしようもない。
・一番損しているのは真面目な不細工女ではないか?
・筋力トレーニングは甘えか?
・大体は目的の論理なのか
・科学は非対称性がないフィールドですよ、って
・次って何だ? もうアカンわ



例外が生じる可能性はあるとしても、あらゆる点から考えて、自身の時間軸上の場として、今がピークであるはずである。
なのにモラトリアムを散財して何をしているのだろうか俺は。

と、何年も前から何遍も言っているけれども、普通に風呂入ってたら急にその限界をリアルに感じてぞっとした。
近頃体験してきた幾つかのやばめの体験が暗示したのかも知れぬ。
考えてみると「今が人生のピーク」って結構圧倒的な事実だと思う。
この先どうなるかなんて出たとこ勝負だぜホント。どうなることやら。
僕は極めてプラス思考である。恐らくそこら辺の人よりもひどく積極的に。

ところで、噂に聞くしないということをしているのであるが、
すると最近、だめだったら終わらせればいいじゃないかっていう逆転の発想をずっしりと礎に据えた、
意味不明の熱いモチベーションが湧いている(やや高度な下ネタ)。

 



更新頻度を増やそうと言っておきながら全然しないといういつものパターンです。
日々、生活していて思うことは多々あるのだけれど、イマイチまとまりがつかなくて有耶無耶にしている。
ということでいっそ最近考えていることを雑多に書き記しておく。



・一年前くらいにも書いたことだけど、依然としてモラトリアムの浪費が惜しまれる。まあそんなもんだろうが。
 バイトを半年ほど続けているんですが、前と違って時間は過ぎても手元にお金は残るという点は救いである。
 あと仕事をして忘我の境地に立つことはそれはそれでいいものだと思った。

・日の丸、君が代、韓流、原発、ナショナリズム、その界隈などについて。

・豆腐って字面だけ見ると食べ物とは思えない。腐った豆だよ。豆。

・考えることを跳び越して外から高速で行うインプットと、時間をかけて自ら紡ぎだす発明の適当なバランスとはどういうものか、
 また後者に重きが置かれるような風潮は改めて如くあるべきなのか、ということ。

・何か、謂わばalmightyな存在というのがいつからか僕の理想となっているわけですが、
 心の方だけが常にそちらのほうを向いていて、疲れる。
 この義務観念が絶えず頭の上に浮かんでいて軽く圧迫してくるけど、実際の努力はほとんど伴わないからしょうもない。
 怨霊に似た消化不良物が蓄積する時、そういったものをすべて放棄することを思いついた。割と斬新な発見である。

・純粋さが見せる残酷な一面、といったようなものにいつも振り回されている気がする。いつだって本当に純粋なのは僕の方なのに。

・つまるところ、
 「宿命が私に強いるところを、私自身の意志の、また理性の勝利だと附会する永年の悪癖が、一種きちがひじみた尊大さに達してゐた」
 「不安は在っても漠としたそれにすぎず、私はまだ希望を持ち、明日はいつも未知の青空の下に眺められた」











 



ウオー、俺はロリコンです。

 



今回の地震では、部屋の土壁に亀裂が入り隅が欠け、部屋が頻繁にぴしぴし言い始めたくらいで、
身の回りの被害はほとんどありませんでした。
あと、庭の木に鈴なりになってて、よく蹴飛ばして遊んでたまずい夏みかんが、ここにきておいしく食べられる境地に達した。

という話は実はどうでもよくって、最近、情報収集と視野を広めるために、フォローを絞ってツイッターを利用し始めました(超今更)。
馴れ合いのとしてのそれはdisってる部分もあって、今のところ何か情報を発信するつもりはないんですが、
まあ人によって利用法は様々でいいかな、ということでロム専に徹しています。
ある出来事に対して、右とか左とか在日外国人などの意見が同じタイムライン上に並んでくるというのは強みだと思いつつ見てます。
フォロー数を絞るというのはかなり大切な気がする。

今回の件に関して思うのは、日本人って普段自分の仕事や身の回りの事に多忙過ぎて
社会やその在り方について考えたり声を上げて意見を主張する事をしてこなかった為に、
一部の関係者だけが自分達のやりたいようにしてきた結果だと思うんですよね。


これは、誰か知らない人の呟きの引用の一部の引用です。言いたいことを端的に表している。
今までの話はこの後の前フリなんですけど、
震災の関連で個人的に問題だと感じていることの一つに、物事に関する無関心ということがあります。
このことについて、以下、僕が最近考えていることを書きたいと思います。
まあ、暇ならちょっと見てみてください。



僕は、ショッキングな津波と火災の映像や、先の見えない原発問題を目の当たりにして、
フクシマをはじめ、被災地は自分の日常とは遠く離れたどこか別の世界のように感じてしまっている節が少なからずある。
現実から目を背けたい、という言葉通りの心境で、深く考える気が起きない。

こんな状況下で、保身で後手後手の頭が悪いとしか言いようのない政府や東電関係者の対応が現実逃避に拍車をかける。
何やってんだうちの国は…と現実を直視したくなくなりもする。
一国の首相が、雨が降ったから視察中止って、遠足か! デマを裏付けてんじゃねえよ!
今日の年間被曝限度量の基準を引き上げとかもアホとしか思えません。

それと並行して、与えられる情報に懐疑的にならざるを得ないということが自分の中では大きいです。
テレビなどでは政府や東電バッシングがほとんど見られず、自称専門家の「直ちに健康に影響はない」の一点張りです。
ACと東電とマスコミの癒着、東電と大学教授の癒着とか、聞くだけで耳が痛い。
そこで登場するのが自由の鑑と言われるネットなんだけど、実際見てると、
情報発信の手軽さと匿名性ゆえに多大な情報が錯綜して混沌としている。
正直言って、いちいちネットの情報の裏を取るのは面倒くさいし、孫正義社長に避難しろって言われたら信じてしまうのでは。
ブログやツイッターって、各々の立場と思想に都合のいいことしか書いてないことが多くて、どうも信用ならない部分がある。
そんなことを言い出したらきりがなくなって、心の拠りどころがなくなっている。

このような心理状況があるけれども、日常は絶えず迫ってくる。
だから、とりあえず思考を停止して、どうにかなるだろうという願いをこめて自分の生活に戻る。
事態がよく分かってないから何もしようと思わないし、なんか面倒くさい。
上に持ってきたイタリックの文は原発問題に対するものですが、
「日本人って普段自分の仕事や身の回りの事に多忙過ぎて社会やその在り方について考えたり声を上げて意見を主張する事をしてこなかった」
は、僕が接する(極少ない)人々を見ていても、割と多くの人に当てはまると思う。
無意識的に無関心に逃げているというか、積極的に思考停止に陥るというか、うまく言えないけど。

でも、それはやはり無責任であると思う。
今までも、民主党の騒動の時など、漠然と同じようなことを感じていて、それでも世界は回ってきた(?)からよかった。
そして見えないところで「一部の関係者だけが自分達のやりたいようにしてきた」のだろう。
そうやって積み重なってきた他力本願の歪みが、いつにない衝撃で破綻しつつあるように思う。
「日本人なら大丈夫」「一つになろう」といった文句がやたら繰り返されてるけど、正直疑問を禁じえない。
今までどおりにやったらどうにもならないんじゃないか(いつものように僕が空騒ぎしてるだけで、うまく収束すれば一番いいけど)。

僕自身、原子力発電所の構造や状況を読んでフーンって思って、あまり分かってなくて、
ニュース見てもまたかーって感じになっちゃうのが実際のところです。
知っているようで、考えているようで、何も分かってない。
それはそれで自分の生命維持で精一杯だし。

今の社会の状況で、知るという活動には困難が伴うと思います。
疲れるし、時間も必要になって、自分の生活を犠牲にしなければならない。
そこから一歩進んで情報を発信したり、デモを起こしたりするのは更に難しい。
必要なのは本気で知ろうとする覚悟、行動に移す覚悟、生活とのバランス感覚、でしょうか。俺に何ができるか。

また、地震予測や原発の関連で、科学という宗教、科学と政治性みたいなことも考えることがあるけど、それはまた後日。



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