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キェ―――
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自分は自分の所有ではない
自分は自分によってユニークに所有されているものではなく
自分の中の他人も自分のものではなく
それは至極 簡単なことで気付けばその 執着を感じる必要もなく
いつか小さいとき しゃがんで水中を渦巻く多い砂粒を眺めているときの
妙な納得がよぎった。

自分に他人に執着を感じる必要もなく という言葉は考えてみてもなんてことはないけど
何かにつけそのことを考えるようにすると、
心の中に一つ武器か防具か眩い道具を与えられたような不思議な気分になり
(これが俗に言う座右の銘か? 今まで無かった)、
少し気が楽になる、か。 どうかな、



たとえそれがまだ未分化で自意識が発達しておらず、
本能が採る自分をつなぎとめる一つの方策であったとしても、
情状の余地は絶対に無く、
そんな凡人を俺は許さないよ。

しかし歩けど歩けども選択か放棄かという
本来的に線形分離不可なテーゼが後ろからふらふら憑いてくるよ。

こういった一連の言葉や儀式は自己への執着を自然強める
方法的にこのモデルを登用していこうという作戦












昼休み ねるねるねるねのCMを一人見て声出さないようにする程度には元気。
渋谷でかっこいい帽子かぶって歩いてるだけで、一分間に三回
黒人に「カイモノ?」
と声かけられるのさすがに精神削られる。

けっこう好きな女の子が疎遠で久しぶりに会って普通に接していたら、
次の瞬間カバンについているおなかの中に赤ちゃんがいます札がふっと見えて、
うわ…と思ったら夢だったんですけど、いやに生々しい設定だな、
と、あとなんか自分小せえな、と思った。
愚順なほど前倒しの行動を!

首からベル下げたい。
良い宗教教会音楽に溺れたい
昔の知り合いとは本当にただ互いの顔を見て推測するだけで帰りたい
哀愁漂う今の状態のミニモニ。が見たい。
日南響子の目尻に殺されたい
ルックスが総ての中心に据えられ揺ぎがなく、
何をするにしても、自らの血を眺めることもない気持ちで渡世するの、したい。
早くきゃりーぱみゅぱみゅがダークサイドにおちるの見たい。
思っているより人はそれほど前の方に位置していないのかもしれないが、
その絶対距離をどうにか計測したい、あとその他人の傲慢を明かしたい.
今日も睡眠の自浄作用に身を委ねよう...















言葉を読んだことがあっても、一度眼耳の中を通過していたとしても、
本質、が分かっていないことがどれ程あるかということを体験することはままある。
パソコンが欲しくて電器屋のオープン記念の激安限定10台という設定では、
まあ馬鹿みたいな話だけど、
人波に飲まれながらエスカレーターに乗るまで分からなかった。

当たり前と高を括った言葉に対して、
期せずして不利な立場に遭ったとき、
そしてその状況に行き詰まったとき、
その言葉、その意味する処がガツンと五臓に落とし込まれるのだな。

そして最近傍のそれとしては、"執着を捨てなさい "
しかしそうしたところで何が変わるでもなく、引き続きなんとなく生きるだけだ。



最近 寝る前に "少年よ 神話になれ" の番組を2話ぐらいずつ見るのが日課だ。
ちょうど先ほど最後まで見終わった。
総合するとなんか漠然と気分が悪い。昨日一昨日あたりの話から。
この習慣は今しばらく続けようと思っている。
これでいいのだ、
徐々に、衛星軌道を外れるほど大きい弧を描いて 出来上がるかも知れない一枚の絵。
眉間に皺寄せて 情報の聯合を目指す高次蛋白識別分類器
広い机にバサッと画用紙を広げて一堂に眺めることを、我が内に染み入るものを!
結果、横たわって自分の生理的なその呼吸にどこか不満を感じている


 



私はそれは運命の覇者の自己陶酔であると疑わないし
(しかしそれには定量的に扱えないある量の努力(しかもモチベーションからもう異なる)が伴っているというのが事をややこしくさせる)、
言葉が煮詰まった現在、歴史がそれの真偽を決定してくれてもいいだろ

諦念を経ると捗る。

ここにもいたか やれ自意識 やれプライド
とはいえ、そこまで剥がしとってしまうと もう 無 筍
ようやく私もメジャーリーグへの指向をここに表明します。
然れど棚に上げたそれを手にしてはちょっとずつかじる。私は諦めない





二日ほど前から いつものように こうして 文章を書くことを楽しみにしていた。
純粋にこのような思いが生じることはかつてなかったように思う。これ依り何を導こう...?
質問を換言した時点で答えは出ている。意味は、ある

無意識な形式の束縛を打破せよ。

思ったが、睡眠とはリズムだ。
全く根拠は無いが、生死に季節や朝夕昼夜、一日一日の呼吸に拍動、ノイズに埋もれたδαの髄の波 及び躁鬱、
といった大局的なものから極微に至るリズム、生きる生命のリズム全体を支配するブラックボックス、
狂った自己を、人一人が所有するメトロノームのこましいネジを、自ら締め直すことができるような機構



   "イルカは過酷な環境に適応して、並外れた睡眠機構を進化させてきたのである。
    しかし、イルカですら眠らなくてはならないという事実から、
    睡眠の何がそれほど重要なのかという疑問も生じてくる。…
   
   "世界一長く11日間眠らなかったRandyは、連続15時間近く眠った。
    その後夕暮れまで23時間目覚めており、その後で10時間半眠った。
    この最初の睡眠の後には彼の症状はほとんど消失し、
    1週間後には以前の睡眠や行動とまったく変わらないようになった。…



長い昼寝後の凝縮された喪失焦燥感に勝るものはあるか...?
俺は睡眠の力、信じてるよ
















ああ、まだ今日か

聞きなれない音楽を聞き慣れたとき人は何を得ているのでしょうか
プールに入って、長い距離を走って、細胞のレベルで生きて震える律動の感覚を確認したい

マイペースなんて言葉は小さいときから聞き飽きているけれど
なんか考え出すと示唆するところが多いし難しい概念で消化出来ない
性格はマイペースとか言う奴はもうそれで痴呆認定
夢は白銀のマイペース樹立

夜遊びってしてみたいな
ナンパってしてみたいな

"大人たちは私を野放しにした責任をとれ
絶対に後悔させてやるからな。心当たりがある大人、震えて眠れ!"


 








なんか自然に口空いちゃうな今日、嗚呼 今日から善良な市民になろう
昨日を生きた結果今日が辛い

先週、メモ帳に書きかけた記事はどこへ行ったのだろう。
傑作だと思ったのに、電子の森でも物を失くすことはあるのだな。
翌朝便座カバーを風呂場で洗ったが、半年ほどずっとつけっぱなっしだったのでよい機会だった。
可愛いもんだろ。でもけっこうショックだった

何でも 誰でも 一度枷が外れたらもうだめだろう
近い将来、枷が外れると取り返しのつかないことになると思う。少し楽しみだ。
今日も誰かにとっての大切な一日



都内の公園と言えどどんだけ生物多様してるんだよ。
服に変な緑虫つくし、ベンチでジジイとババアがイチャイチャしてる。
数年もすると みんな放射能でイカれちまうんだと思うと愛おしい。
ババア一つとってもよく見るといろいろな顔をしたババアがいるよ
ジジイの多様性も豊かだこの辺

耳に音が聞こえて自分がゼイゼイ小動物のような呼吸をしているのに気づいた。
呼吸で胸が縮む度に ぷつり心が千切れそう
耳穴から凶悪な音圧を与え 内圧と膠着状態だが劣勢
新しい言葉はもう無い
あまりに大きいリスクを前にして なお突き進むのは勇気といえるのか?
前から思ってたけど絶対月行ってないよ スタジオだよあれ

最近 天気予報ですら信じられない
しかし 宇宙船は地球号、人の間の人間 に対して正しい形で反駁せよ
君は 人と比べないと何も感じることができぬのか 愚かな...
"自分を信じて!"なんて一回も言われたことないけど、多分言われた瞬間顔殴る。

すんげ〜すんげ〜すんげ〜すんげ〜水着 ワンチャンいるで〜 わん!わん!!(いた!!)
主役の演技をする枝葉
あとは小人さんの仕事です〜




 



小学校で初にできた友達はファービーを声が変になるまで虐待していた。



馴れ初めは、俺がひた向きに平仮名ドリルの文字をなぞっていたところ、
座席が丁度目の前だった彼が、後ろを向いて、何やら鉛筆のお尻の先に、
おどろおどろしい紙人形をセロテープで固定したのをチラつかせてきて、
やめて、邪魔しないでよ、と手で払いのけたらそれを破壊していしまい、
彼がキレて俺の顔面に引っかき傷を残して一緒に保健室に行ったことだ。

彼は三島由紀夫の小説に出てくる人物の少年時代のような少年であった。

彼はずっと保険体育の教科書にある薬物乱用者のサンプルの字であった。
「富士学園移動教室の思い出」における彼の文章は、今読んでも最高だ。
その他の連中はそこで起こった出来事の時系列の叙述に終始している中、
日本サッカーの敗戦と翌日の鈴木宗男の逮捕が印象的に述べられている。

デジモンバトルで彼のエテモン(完全体デジモン)が死んでしまったとき、
お前も殺してやると僕のデジモンキーホルダー機械を強奪しようとした。
彼とその母親に「たばこと塩の博物館」に行かせてもらって楽しかった。
そのお母さんはいつもガムを噛んでいて一人息子を過剰に寵愛していた。

ファービーを紐で縛り上げて棒で殴打しまくる遊びはかなり嫌悪感があって、
彼の家に行くときは毎回少し憂鬱だったが、拒否する感じではなかった。
(そのあたりは、てゆうか小学校低学年近傍の自分はかなり聖人だった。
 あいつお前のこと好きらしいよとかいう噂を帰りの会で耳にしたとき、
 僕なんかのことを好きでいてくれる人がいるんだな、それは嬉しいな、
 と青空と入道雲の帰り道に本気で思った鮮明な記憶がある気がする。)

そんな彼との関係もいつか中学年くらいから早くも疎遠になっていった。
少年というのは無邪気なもので、無意識的に自分がどんな人と近づいて、
どんな人と離れゆくかなんてこと、その動機について考えることは無い。

その後特筆することは無く、確か中学3年生のとき同じクラスだったが、
合唱コンでやや斜に構え乍らも優勝してニヤリとするのが最後の記憶か。
いや、高校生のとき帰宅中一回擦れ違い様に確かに見かけたのが最後か。
いやいや、変わらぬ筆跡の年賀状に対して、室伏で応戦したのが最後だ。



今はどうなってるか全く知らないが他人を罵りながら楽しく生きてるか、
俺を、更に濃縮してドロドロしたような青春をしているかの二択だろう。
たまに、しばしば、そして今、酒をのみながら彼との因果を考えている。
僕は覚えてるよ 君を覚えてるよ~という歌

今までで「こいつはやばい」、と思う同級生は今までに約、3人。
何でも程度の高いものに取り憑く圧倒的暴力性と崇高な孤独
人はそれに近づくことを避けることが多い。
 



・春になって、暖かくなるのはとてもうれしい。身体の熱は逃げないから。
 前途が洋々とした人間が生き物みたく湧いてくるのはダメージがかなり大きい。
 半年もすれば彼も彼女も完全に垢抜けてしまうという確からしいサイクルも感じてしまうともはやダメージ-5才肌・・・
 今 新たに大学に入ったら満帆な青春を送れる気がする
 人と数年精神発達の遅れがあるようだねバンザーイ!



・上には上、下には下、徹底のその先に続く無限、というのが一つ大きなポイントだとみている。日常のあらゆる面において
 先の震災以後、知るという活動に重点をおかなければ、と模索していて、
 いわゆる国賊の人々を久しくウォッチングしているのが、
 性格の悪さと不幸の波を増幅させている。奴らの思う壷だろうな
 大地震以来、積極的にインターネットを彷徨する中で、
 
 "敵として信頼しています!!"
 
 という台詞は、敵、というより、
 必ずしもある人間一つに全幅の信頼を置いてないにしても、
 ある側面、自分で任意に切り取ったその側面、においてその発言に全幅の信頼を置ける人間を探していたのだな、とふと思った。



・理性を掲げて理屈を振り回す男が詰め寄られている様を傍観している。煙に巻けるか。
 理性の面を被った純粋な悪意
 俺は理性なんていう言葉を認めない
 これは奴らの常套手段
 あるのは自分と少し伸びた自分だけだ



・2012年は万物の否定がテーマとなってしまったので、2013年のテーマは世界観の伸長となればいいな。
 自分の首を絞めるのが趣味なので、意地が悪いことばかり考えていて酷すぎる自分。
 俺は悪口は言いたいからこの閉塞を打破する努力は一杯することにするよ。なんかそれも害悪でしかないだろうけど。



・対人関係、殊 打ち解けていない人と会う時は、事前にアレコレ会話チャートを考えて臨むより、
 なーんにも考えずに行き当たりばったりの方がうまくいく事が多いのに最近気付いた。
 というより事前に何を考えていても、自分は俳優でないので
 実際には変なぎこちなさが滲み出て後で必ず気が滅入るから、手詰まりの選択肢自体を最初から放棄してしまおうって感じ。



・圧倒的な力、物理的暴力ではない力、でもって他人の自己肯定感の礎を崩壊させてみたい、
 という酷すぎる欲望を深淵にもっているから最悪だ。
 いつか打ち立ててみた、
 
 "自分の過去ルーツが全て、何物にも先立つ"
 
 という人間の根本原理といったものの反例は未だ一つも現れないし、
 何か物事を考えていても全部そこに行き着く、と確信している。
 しかし、いつか、その反例が現れた暁には、俺は回転し始めることだろう。



・絶対にやらなければならないことがあるというのはそれはそれでいいこともある、とよく思う。
 (忙しいっすわ、自分、忙しいっすわ!ってやつ?、)
 
 "吾輩は自由を欲して自由を得た、自由を得た結果、不自由を感じて困っている" (夏目漱石)
 
 について述べよ、
 という問が高校入試のときにあって、今でも尚印象的でよく頭を過ぎる。
 果たして、本当に、そういうことなのだろうか?



・なんとなしにそれを「死ね」って思ったのは、
 それは現実に適用した時点で必然的に破綻する科学と同様の机上で、
 日常は力学と運勢、即ち理不尽に満ち溢れ、
 自由を欲して得られるものはその労力とイコールではないということがあるのに、
 
 自由を持つ者が、
 
 "この、自分が、
 自身の労力の必然として、自由を手にしたのだ!"、
 
 と本気で考え、
 
 さらに、皆が所望するそれを一蹴した割に、最終的には絶対とっとく感が滲み出ているからではないか。
 しかも、現実には複数の軸にわたって自由みたいなものがあって、
 その複雑な関係性で非線形(一対一対応では無い)でもう何を言っても陳腐だし、
 てゆうか自分でもなに言ってるかよく分からない…



・両親二人分の一人よがりをしっかり受け継いでいるので困ることが多い。
 住ませて食わせて払ってもらっていて非常に有難いのだが、
 最近両親の言と動に一々苛々するなと思ったら、完全に反抗期の症状だわコレ。
 思えば反抗期の覚えは殆ど無く、
 それは両親が暴力・過保護とか、明らかな嫌悪対象みたいのがない善良な市民であり、
 反抗の動機が生じなかったためだと思われる。
 しかし、完全な人格の存在の可能性というものはとても低く、
 以前は気がつかなかった表面上細やかではあるが根の深い部分が目に付く様になったようだ。
 
 そしてそれは一貫して"世界観の非常な狭さ"のように思える。



・生まれた時点で、人生、決定論的だという思いを日々強めている。
 例外、暴力的外乱の起こりやすさも含め、全て親に依存する、気がしている…



・殺伐とした空間に完全な部外者として存在したい。
 将来の理想となる中年が一人もいないので早めに死にたい。
 高校の思い出と言えば、桂馬の軌道で問題を当てるスリリングなジジイ位だ
 スマホ買ったけど画面光ってて目の刺激になるので良い目覚ましになるくらいしか恩恵ない。
 スマホを買って1週間の心の機微から、自分の長期的な行く先の確かな予感がある。
 私が松田聖子の曲に出てくるような男になってしまったのは、絶対に松田聖子のせいだ。
 取り留めも無い想念に進んで言葉を与えること 意味の付与、具象化。 挙句枯れ果てるか? 或いはその先?
 わたしたちの身近で見られる物理現象の多くに対応しているのが2階線形偏微分方程式を支配方程式とする境界値問題です。
 体育会系と友達に不自由してない人の浮ついた、浮ついた口元を蹂躙することを目的としたい。
 
 だけど、敢えて、なんていう言葉遊びはいらない。
 全て、絶対、本当、と0と1で割り切る言葉遣いは本当に悪い癖だと度々思う。



・出会い系というのはインターネットの本質ではないか? リアルだけでは有り得ない。
 だけど、目に付いた気の合いそうな人に対する自分が取ったアプローチが
 本当にその気は無いのにいわゆる出会い系のそれと全く変わらないことに後になって気づいて、
 はは、難しいわ、と思った。



・何事も変化するということはかなり抵抗がある事も多いが、究極的には楽しい。
 緩やかな変化を求めている のでよい毎日? 4月7日
 



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