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キェ―――
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もつれた因果を見下ろして、君のことばかり考えている。そう思っているような気がしているだけで、この世界というものはこれから何年かかっても理解はできないだろう。自由は二つあれば、かなり自由だ。自分が自由であると信じ込むことができれば、好青年あるいは狂ったフリがかなり板についてくる。その不自由さ、軸の少なさに対して先端を向けた嘲笑を行なってはいけない。なぜならそれはとても正しい形であるから。その場合でない文脈のみでしか成り立たない議論であるから。いけないというだけで可能ではあり、私はそれを行なうような人間である。タブの右上の×のような人間には我慢がならない。瞬間を見れば正しいが、時系を見る視点に欠けている。この、低く狭く暗くて汚らしい私の空間には試行は無く、錯誤にあふれている。待ち受けの怯えたピカチュウは何も語ってはくれない。ネタが揃うまで、もつれたなりに粘って粘って、身辺整理を続けているだけの毎日は今考えうる最悪の下を生み出しそうだ。自由度を確保したまま動き続けていき、筋を通していった先に快感を得ることを目指すのが人生か。何が自分を創ってきたかが分かれば創っていくことができるとすると、私には基本的な技術と手法の習得が必要であることは明白であるのに、駆り立てていくもの、必然性が足りない。社会全体に蔓延るこのムードこそが平成ゆとり世代の正体である。ゆとりのある生活。後悔が変化を生じ、時代の中における自分の細胞の回復および創発能力に期待する?人間関係において、防御は中程度の攻撃。でもやっぱり、身辺整理は必要。



あれとこれを持ってきて繋げる。
すると、強くなるのは当然だ。
強いとあとあと困らないと思われる。
このとき、しっかり繋げることが大切だ。



精神が分裂して分裂してを繰り返して砂状になり、つかみ所がない。高い安全なところにまで避難させようとしても、この空間には他に 手 しかないため、形もなく地面に散乱するしかないのだ。しばしば空間中に出現する 靴 にならされ密度が減少した状態になると、動けなくなるので、せめて1か所に集めておくようにしなければならない。それはどうってことのない作業ではあるのだけれども、時々 とてもつらくなる。今日はそんな日だった。必死になればなるほど人間は滑稽だ。必死になっていることを、自分にもばれないようにすれば、必死が足を生やしてひとりでに走り出していってくれれば、一切の必要がなくなる。今ではない生活への 鍵 は、絵本の世界にあるようだ。この鍵は鍵の形をしていて、ものを動かして積み重ねて動かして積み重ねて、すっかり配置もかわってしまって目的も忘れるくらいまで慣れてきたとき、床に落ちている。頭が体操をしている。



法律と安寧をパラメータとする事で良設定問題とする父母仮説は、
不良設定な人間の感情を説明・予測しようとするモデルの一つである。
時間定理は父母仮説が要求する目的関数の最適化を行う手法として重要である。
この仮説から導き出される法則には枚挙に暇がないが、未だに仮説の域を出ない。



わたしはコンピュータおじいちゃん
そして銀杏に含まれている白い色の成分
半開きの口は硬直した指の意思を汲んで中心にだけ分かる言葉を呟く

馬の口から漏れる指標
馬「大丈夫、用意があるから困る事ないよ?
馬「手応えとは理解である。

こんなにたくさんインターネットがあるのに、もうすることがなくなったよ
人を不幸にするブログを書き続けていたらついに誰も寄りつかなくなったよ
人と話していると周りが見えなくなるタイプ

義務だけをやり過ごす生活
言葉を発するときに必要とするエネルギーを節約している節があり
自由に使うことができる言葉がどんどん少なくなっている
岸は遠ざかり先に向かって細くなっている空間が差し迫り広がる

一般論などというものはないという一般論はいい加減前提としてくれ

経験が人を作るとはよく言ったものです。
他人とは"他の"人なんだって考えてみなよ。
オープンダドア 蛾はガラスの向こうで飛び立つ。

見返りを求めているとしかか考えられない、立ち昇る臭気
行動原理として据えるべきは無、ゆえに無
自分と向き合うのはむしろ遠回りの生き方なのではないか、と
思う遊びをしている。



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geroppii
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