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キェ―――
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もっと、より、具体的な叙述を行なっていきたい。私の日常に顔を出してこないでほしい。より生活を感じられるアカウント経営をしたい。恋は人を狂わせると仮定すると私は常に狂っている状態です。



☑︎ 程度というものを知らないので、人に心を開こうと思ったらやりすぎて引かれることがある
☑︎  行動が中途半端、まごころなんてものは持ち合わせていないことが身に染みている
☑︎  酒を飲むと一気に饒舌になってある事ない事べらべらしゃべるのを後悔する
☑︎  好きな人に「了解です」と言われて距離を感じ、傷つくことがある
☑︎  本当に好きな人ほど嫌われたくないから自分の駄目な部分をさらけ出さないため、結局、第3者の関係になってしまう



携帯の電池は線形に減れ!
みんな楽しそうな人生送ってていいな ~
軽い観光気分でFacebook始めたいけど、生半可でいると八裂きに殺されるのでやらない
AZUKI七は名前含めてサイコー

もっと頑張って、頑張って、感情を憎しみに変えないようにしないと…。
かろうじて 憎しみに 変えずいれた 私 頑張れたよね?
憎しみどころか、殺意の萌芽がある。
やはり、湧き上がる感情を憎しみに変えないことは出来ない。

自慢じゃないが、他人の気持ちが少しだけわかるし、未来にどんなことが起こるかも少しわかるなどの中途半端な頭の良さが、すべて悪い方向に働いていて自らの首を絞め息の根を止めにかかっている。今さら他人に心を開き始めても遅い。人生における心理的な部分の成長が、一般の人間と比較して数年ずつ遅いのでとても強いつらさがある。昔からそうだ。自覚はしていてもどうしようもないんだ。どうすればいい? いつも未来を夢見ているだけだったので、拠り所となる過去がなくつらい。未だに高校の部活のときの経験に基づいた悪夢をよく見る。夢。内容はバスケットボールの練習をしているだけなのではあるのだが、嫌なことばかりで、目覚めたときにドッと疲れている。スクエアパスにおけるタイミングとパスの受け、フットワークにおける脚力の静止力の不足、3on3、荻窪高校における全日練習の憂鬱、出張練習試合におけるウォームアップのみの参加の電車に乗っている段階での完全な実感とその現場、および試合中に輝く先輩とマネージャの表情、同期の冷たい風当たりと低い地点における低レベルな競争心。12月に傷心して購入したギターにようやく名前をつけた。インターネットリテラシ持ってます? 今はおそらく種まきが大事な季節 人の精神に土足で入り込み、入り込まれるようなやり取り 最近、年明けてから、慣れないことばかりを行なおうとして、相当無理しているような気がする。なんでこういつまでたっても心だけは清らかなんだろうな。世の中の正義について考えている。虚空を見つめながら色々な人のことを考えている。大局を見失うな。大局を見失い、自分を見失うなよ。今の君にはストイックさが足らない。冷静に、現状に甘えてるでしょ?「努力」をしなければどうにもならないだろ?あれ、人生ってもっと楽しいものじゃなかったのかな?

いろんなことがあるけど、概ね「生きてる」って感じはある。



おはこんにちは!! 呼吸しちゃうよ〜。
現実世界って、けっこう解像度高いな。
芹那って名前、誰が考えたんですかね? 親?
ゆとり世代なのでおばあちゃんに5万貰った。
指導教員の先生が俺の話をすべて頭から否定してくるのを思い出していて、
ブチ殺したくなる気持ちになっている指導教員の女の顔面は鉄器などでブチ殺したい、
みなさんに私の日頃の好青年っぷりを見せてあげたいよ…トホホ

食べサー 歯はとても重要

やはり、"う◎じ◎い◎肉"は、息の根を止めるべきラスボス級の敵だ。
今の私では、多層装甲の論理構造を解決する力は無いし、
まず迂闊に名前も口にできないのがヴォルデモート感がある。



トイレの鏡を見たときに外見が大人になっているのがいつもよりよく感じられて
とても悲しくなった。
とてもつらいような感じがする。

"国語の教科書を読んでた頃の気持ち"0
福士蒼汰のルックスは俺の完全上位互換
今どうしてる? → 飲酒による死
完全なリア充なので花見に行く予定がある リア充なので花見をしている
集団の中で孤独をキメている7
ダメなやつほどスピードが速い時
生きてるような人
自我ーっ、自我ーっ
皆さんはもっと俺のことを良く知ってほしい。
漠然とした将来への不安が更新され続けている



過去が悲しいのは、狭い世界で滑稽にも精一杯、一生懸命頑張っていたのが悲しいから。
俺は貴重な19-20の頃、
ずっと部屋の天井を見つめ、シミの形から生物の絵をずっと描いていた。
未来はそう思わないように、なんて努力はたぶん無駄なんだろうな、
という思いがあって、
生きていくのをやめたくなる。
今まで品行方正すぎたので、俺はこれから不良少年になることを決めた。

夢で「光とは」という曲を幼稚園の最後に歌っていて、
その先には眩しすぎる白い光が本当にあって、
幼稚園児の小さい僕の小さい影が伸びているのを後ろの方から見ているとき、
僕の小さい影はとても勇敢に見えた。
小さくも恐れを知らないまっすぐな勇気が感じられた。
「大自然」は今後一つのキーワードと感じてます。



良いことは良い。 悪いことは悪い。 分かってますか?
特に、良いものは良い、この辺を分かっていない人が多すぎますね。
「今」ではなくすことが必要、
もう、灰原哀が出ている動画を見ることしかしたくない。
お前は理性を保ち続ける訓練を続けろ。



客体がある。私はなぜ衝撃を受けるのか。自分にとってまったく新しすぎる概念を知らされたからか。自分が行なってみたいという憧れの気持ち、といった方が適切であろうか。これは単なる憧れ、妄信的にすがりつくという類のものではなく、自らをその地点に近づけたい、という意味においてである。つまり、自分の能力としての吸収を志向する対象としての憧れ、ということになる。もっと短くいうと、理想である。次ぐ問いは勿論、なぜ自らに吸収することを望むか。理想はどのような過程で形成されるか。これは意外と難しい問いである。強くなりたいから、は、正確には答えになっていない。数多の客体ではなしに、なぜそれに強さを見いだしたのか。それは恐らく、これまでの人生に依存する性質のものである。理想が新たな理想を形成し、ここまで続いているのが現在で、これから先も永遠と続いていく、といった構造があるのではないか。となると、理想を逆さまに辿っていった先に位置している何かが答え、とはいわないまでも、何らかのピュアな印象ではないだろうか。何が目指してゆく理想像を形成したかという帰納、および何が形成されていくかという演繹は、偶然の産物であり、人間の自由意志は介入を許されないのか。極論が過ぎるのは認めよう。精神や行動に与える程度の開きはあれども、何が自分を漠然と方向づけてきて、漠然と方向づけていくかというだけのものである。女がいるところに男あり。ラ・カンパネラを演奏する黒人がいる。客体の多くは偶然の下に並べられ、それらに意味を与える私の思考体系のルーツも然り。また、ここに活字として顕され、私の思考を縛りつけるであろうこれらの文言もその域をでないものである。人間の自由意志はいずこ。私はいま、どうすればよくなる? 私はこの世の中のこうした偶然性に対して、日頃から強い憤りを覚えている可能性が高いことがわかってきた。報われない努力、苦しみというものはその最たる例で、支払った負荷に対する報酬は保障されないのが条理だ。便宜的に全能の神の存在を認めたとして、瞬間瞬間における私は、過去の偶然に縛りつけられ、神の判断、すなわち必然性というものを持ち合わせていないと考えるのは妥当である。必然はどこにある? 少なくとも純粋な数学の世界には存在しているという事実からも推察されるように、この世の中に存在していることは確かであろう。数学のように局所的な分布ではあるけれども。つまるところ、偶然を必然に変える強さを私は欲している。強いということに関して、暴力は最も野蛮な必然の形だ。唯、殴れば相手を黙らせることができるから。何ごとに関しても、程度が高いものに対して暴力性を感じるのは、偶然を必然に変える強さがピュアな暴力と似ていて、その強制力が高いからではないだろうか。例えばこの文脈でいうと、弱い音楽は偶然に人を感動させるだろうが、強い音楽は必然に人を感動させるだろう。弱い音楽の感動は、場に存在する人間によるという不確かさがあり、さらに、人間は不確かな形で決まっている。繰り返しになるが、私は根本の部分として、人間の自由意志に必然性を与えたいのではないか。そして話を最初に戻すと、何らかのものに対して吸収を志向するのは、どんな次元であれ偶然に必然を突きつけられたとき、同様の強制力を自らも行使することを望んだためであると考えられる。以上の考察により冒頭で発した問いへの一応の結論を得たが、自由意志に力を与えるための、そして、客体からの力を自由意志の下に受容するための、あるいは退けるための最適な方策は依然として不明である。空虚な時間であった。



身辺整理を行いながら妄想に耽っている。今は、人間の可能性について考えていたがどうでもいい。横になると、聞こえてはいけない音が聞こえる。目に見えないものは見えない。分からないものは分からない。構えすぎなんじゃねーの? ハッ! 漫画はサイコーかもしれない。 覚えないコンピュータ 自分では無い人間が自分の半径数10m以内に何人もいるのウケるな。あと、自分が、自分では無い人間に何らかの作用を及ぼすことが多いのもウケる。実はこれは真面目な話で、自己というものは、唯、独立した一個体という試験管的環境を超え、常に他己に対して少なからず何らかの影響を与え続けている存在であるというのは以前からウケている。飯田圭織のダンスは本当キレが無いな。恋愛レボリューション21は、イントロの最後の方で中澤裕子が開脚して回転しながら前の方を横切る瞬間が好きなのだが、分かってくれる人いないだろうな。



まあ、それはどうでもよくって、イマを認めるに努めよう。起こっている出来事を明らかにすべき。これらはもう、形式に囚われすぎて躊躇している場合ではない。頭にすんなりと入ってこないだろう、これらの文章は、私の指導教官の先生の影響があるかもしれない。あの人は、シンプルに頭が悪いというのは常識的に有り得ないと思いこんできたのだが、そろそろ認めねばなるまい。最近、本当にイライラしていて、将来は自分が考える合理性とのマッチングが取れている組織に入職したい。言いたい事はそれだけか



これ完全なUrban lifeで激ヤバじゃないですか?



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