キェ―――
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
・春になって、暖かくなるのはとてもうれしい。身体の熱は逃げないから。
前途が洋々とした人間が生き物みたく湧いてくるのはダメージがかなり大きい。
半年もすれば彼も彼女も完全に垢抜けてしまうという確からしいサイクルも感じてしまうともはやダメージ-5才肌・・・
今 新たに大学に入ったら満帆な青春を送れる気がする
人と数年精神発達の遅れがあるようだねバンザーイ!
・上には上、下には下、徹底のその先に続く無限、というのが一つ大きなポイントだとみている。日常のあらゆる面において
先の震災以後、知るという活動に重点をおかなければ、と模索していて、
いわゆる国賊の人々を久しくウォッチングしているのが、
性格の悪さと不幸の波を増幅させている。奴らの思う壷だろうな
大地震以来、積極的にインターネットを彷徨する中で、
"敵として信頼しています!!"
という台詞は、敵、というより、
必ずしもある人間一つに全幅の信頼を置いてないにしても、
ある側面、自分で任意に切り取ったその側面、においてその発言に全幅の信頼を置ける人間を探していたのだな、とふと思った。
・理性を掲げて理屈を振り回す男が詰め寄られている様を傍観している。煙に巻けるか。
理性の面を被った純粋な悪意
俺は理性なんていう言葉を認めない
これは奴らの常套手段
あるのは自分と少し伸びた自分だけだ
・2012年は万物の否定がテーマとなってしまったので、2013年のテーマは世界観の伸長となればいいな。
自分の首を絞めるのが趣味なので、意地が悪いことばかり考えていて酷すぎる自分。
俺は悪口は言いたいからこの閉塞を打破する努力は一杯することにするよ。なんかそれも害悪でしかないだろうけど。
・対人関係、殊 打ち解けていない人と会う時は、事前にアレコレ会話チャートを考えて臨むより、
なーんにも考えずに行き当たりばったりの方がうまくいく事が多いのに最近気付いた。
というより事前に何を考えていても、自分は俳優でないので
実際には変なぎこちなさが滲み出て後で必ず気が滅入るから、手詰まりの選択肢自体を最初から放棄してしまおうって感じ。
・圧倒的な力、物理的暴力ではない力、でもって他人の自己肯定感の礎を崩壊させてみたい、
という酷すぎる欲望を深淵にもっているから最悪だ。
いつか打ち立ててみた、
"自分の過去ルーツが全て、何物にも先立つ"
という人間の根本原理といったものの反例は未だ一つも現れないし、
何か物事を考えていても全部そこに行き着く、と確信している。
しかし、いつか、その反例が現れた暁には、俺は回転し始めることだろう。
・絶対にやらなければならないことがあるというのはそれはそれでいいこともある、とよく思う。
(忙しいっすわ、自分、忙しいっすわ!ってやつ?、)
"吾輩は自由を欲して自由を得た、自由を得た結果、不自由を感じて困っている" (夏目漱石)
について述べよ、
という問が高校入試のときにあって、今でも尚印象的でよく頭を過ぎる。
果たして、本当に、そういうことなのだろうか?
・なんとなしにそれを「死ね」って思ったのは、
それは現実に適用した時点で必然的に破綻する科学と同様の机上で、
日常は力学と運勢、即ち理不尽に満ち溢れ、
自由を欲して得られるものはその労力とイコールではないということがあるのに、
自由を持つ者が、
"この、自分が、
自身の労力の必然として、自由を手にしたのだ!"、
と本気で考え、
さらに、皆が所望するそれを一蹴した割に、最終的には絶対とっとく感が滲み出ているからではないか。
しかも、現実には複数の軸にわたって自由みたいなものがあって、
その複雑な関係性で非線形(一対一対応では無い)でもう何を言っても陳腐だし、
てゆうか自分でもなに言ってるかよく分からない…
・両親二人分の一人よがりをしっかり受け継いでいるので困ることが多い。
住ませて食わせて払ってもらっていて非常に有難いのだが、
最近両親の言と動に一々苛々するなと思ったら、完全に反抗期の症状だわコレ。
思えば反抗期の覚えは殆ど無く、
それは両親が暴力・過保護とか、明らかな嫌悪対象みたいのがない善良な市民であり、
反抗の動機が生じなかったためだと思われる。
しかし、完全な人格の存在の可能性というものはとても低く、
以前は気がつかなかった表面上細やかではあるが根の深い部分が目に付く様になったようだ。
そしてそれは一貫して"世界観の非常な狭さ"のように思える。
・生まれた時点で、人生、決定論的だという思いを日々強めている。
例外、暴力的外乱の起こりやすさも含め、全て親に依存する、気がしている…
・殺伐とした空間に完全な部外者として存在したい。
将来の理想となる中年が一人もいないので早めに死にたい。
高校の思い出と言えば、桂馬の軌道で問題を当てるスリリングなジジイ位だ
スマホ買ったけど画面光ってて目の刺激になるので良い目覚ましになるくらいしか恩恵ない。
スマホを買って1週間の心の機微から、自分の長期的な行く先の確かな予感がある。
私が松田聖子の曲に出てくるような男になってしまったのは、絶対に松田聖子のせいだ。
取り留めも無い想念に進んで言葉を与えること 意味の付与、具象化。 挙句枯れ果てるか? 或いはその先?
わたしたちの身近で見られる物理現象の多くに対応しているのが2階線形偏微分方程式を支配方程式とする境界値問題です。
体育会系と友達に不自由してない人の浮ついた、浮ついた口元を蹂躙することを目的としたい。
だけど、敢えて、なんていう言葉遊びはいらない。
全て、絶対、本当、と0と1で割り切る言葉遣いは本当に悪い癖だと度々思う。
・出会い系というのはインターネットの本質ではないか? リアルだけでは有り得ない。
だけど、目に付いた気の合いそうな人に対する自分が取ったアプローチが
本当にその気は無いのにいわゆる出会い系のそれと全く変わらないことに後になって気づいて、
はは、難しいわ、と思った。
・何事も変化するということはかなり抵抗がある事も多いが、究極的には楽しい。
緩やかな変化を求めている のでよい毎日? 4月7日
前途が洋々とした人間が生き物みたく湧いてくるのはダメージがかなり大きい。
半年もすれば彼も彼女も完全に垢抜けてしまうという確からしいサイクルも感じてしまうともはやダメージ-5才肌・・・
今 新たに大学に入ったら満帆な青春を送れる気がする
人と数年精神発達の遅れがあるようだねバンザーイ!
・上には上、下には下、徹底のその先に続く無限、というのが一つ大きなポイントだとみている。日常のあらゆる面において
先の震災以後、知るという活動に重点をおかなければ、と模索していて、
いわゆる国賊の人々を久しくウォッチングしているのが、
性格の悪さと不幸の波を増幅させている。奴らの思う壷だろうな
大地震以来、積極的にインターネットを彷徨する中で、
"敵として信頼しています!!"
という台詞は、敵、というより、
必ずしもある人間一つに全幅の信頼を置いてないにしても、
ある側面、自分で任意に切り取ったその側面、においてその発言に全幅の信頼を置ける人間を探していたのだな、とふと思った。
・理性を掲げて理屈を振り回す男が詰め寄られている様を傍観している。煙に巻けるか。
理性の面を被った純粋な悪意
俺は理性なんていう言葉を認めない
これは奴らの常套手段
あるのは自分と少し伸びた自分だけだ
・2012年は万物の否定がテーマとなってしまったので、2013年のテーマは世界観の伸長となればいいな。
自分の首を絞めるのが趣味なので、意地が悪いことばかり考えていて酷すぎる自分。
俺は悪口は言いたいからこの閉塞を打破する努力は一杯することにするよ。なんかそれも害悪でしかないだろうけど。
・対人関係、殊 打ち解けていない人と会う時は、事前にアレコレ会話チャートを考えて臨むより、
なーんにも考えずに行き当たりばったりの方がうまくいく事が多いのに最近気付いた。
というより事前に何を考えていても、自分は俳優でないので
実際には変なぎこちなさが滲み出て後で必ず気が滅入るから、手詰まりの選択肢自体を最初から放棄してしまおうって感じ。
・圧倒的な力、物理的暴力ではない力、でもって他人の自己肯定感の礎を崩壊させてみたい、
という酷すぎる欲望を深淵にもっているから最悪だ。
いつか打ち立ててみた、
"自分の過去ルーツが全て、何物にも先立つ"
という人間の根本原理といったものの反例は未だ一つも現れないし、
何か物事を考えていても全部そこに行き着く、と確信している。
しかし、いつか、その反例が現れた暁には、俺は回転し始めることだろう。
・絶対にやらなければならないことがあるというのはそれはそれでいいこともある、とよく思う。
(忙しいっすわ、自分、忙しいっすわ!ってやつ?、)
"吾輩は自由を欲して自由を得た、自由を得た結果、不自由を感じて困っている" (夏目漱石)
について述べよ、
という問が高校入試のときにあって、今でも尚印象的でよく頭を過ぎる。
果たして、本当に、そういうことなのだろうか?
・なんとなしにそれを「死ね」って思ったのは、
それは現実に適用した時点で必然的に破綻する科学と同様の机上で、
日常は力学と運勢、即ち理不尽に満ち溢れ、
自由を欲して得られるものはその労力とイコールではないということがあるのに、
自由を持つ者が、
"この、自分が、
自身の労力の必然として、自由を手にしたのだ!"、
と本気で考え、
さらに、皆が所望するそれを一蹴した割に、最終的には絶対とっとく感が滲み出ているからではないか。
しかも、現実には複数の軸にわたって自由みたいなものがあって、
その複雑な関係性で非線形(一対一対応では無い)でもう何を言っても陳腐だし、
てゆうか自分でもなに言ってるかよく分からない…
・両親二人分の一人よがりをしっかり受け継いでいるので困ることが多い。
住ませて食わせて払ってもらっていて非常に有難いのだが、
最近両親の言と動に一々苛々するなと思ったら、完全に反抗期の症状だわコレ。
思えば反抗期の覚えは殆ど無く、
それは両親が暴力・過保護とか、明らかな嫌悪対象みたいのがない善良な市民であり、
反抗の動機が生じなかったためだと思われる。
しかし、完全な人格の存在の可能性というものはとても低く、
以前は気がつかなかった表面上細やかではあるが根の深い部分が目に付く様になったようだ。
そしてそれは一貫して"世界観の非常な狭さ"のように思える。
・生まれた時点で、人生、決定論的だという思いを日々強めている。
例外、暴力的外乱の起こりやすさも含め、全て親に依存する、気がしている…
・殺伐とした空間に完全な部外者として存在したい。
将来の理想となる中年が一人もいないので早めに死にたい。
高校の思い出と言えば、桂馬の軌道で問題を当てるスリリングなジジイ位だ
スマホ買ったけど画面光ってて目の刺激になるので良い目覚ましになるくらいしか恩恵ない。
スマホを買って1週間の心の機微から、自分の長期的な行く先の確かな予感がある。
私が松田聖子の曲に出てくるような男になってしまったのは、絶対に松田聖子のせいだ。
取り留めも無い想念に進んで言葉を与えること 意味の付与、具象化。 挙句枯れ果てるか? 或いはその先?
わたしたちの身近で見られる物理現象の多くに対応しているのが2階線形偏微分方程式を支配方程式とする境界値問題です。
体育会系と友達に不自由してない人の浮ついた、浮ついた口元を蹂躙することを目的としたい。
だけど、敢えて、なんていう言葉遊びはいらない。
全て、絶対、本当、と0と1で割り切る言葉遣いは本当に悪い癖だと度々思う。
・出会い系というのはインターネットの本質ではないか? リアルだけでは有り得ない。
だけど、目に付いた気の合いそうな人に対する自分が取ったアプローチが
本当にその気は無いのにいわゆる出会い系のそれと全く変わらないことに後になって気づいて、
はは、難しいわ、と思った。
・何事も変化するということはかなり抵抗がある事も多いが、究極的には楽しい。
緩やかな変化を求めている のでよい毎日? 4月7日
Comment
PR
Profile
geroppii
Archive