キェ―――
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
さあ、1PV/月くらいの頻度で「家の中 コオロギ」の検索ワードでやって来る人がいるブログです。更新をしよう。
例によって箇条書きにしようと思っていたところ、一貫性が生じてきた(後記)。
▽前に書きかけて忘れていた記事を発見した。何を言いたかったのかよく分からない。
「「「階層性
美的感覚と真実の同型対応。同型対応を見つけるのに重要なのはパターンである。形式からの離脱と形式の重圧
一番低レベルの部分をいかに創るか
ニューロン、物理法則、ユークリッド4原則に対応するような、ライフゲームでは可能か
無意識の中に如何に放り込むか、無意識の中から如何に創出するか。
睡眠とは低いレベルの事象と高いレベルの事象を結ぶ、そういうものなのではないか
再帰性
そしてこの自然の多様性である
溜め込んでいくことが必要なのではないか
ゲーデルの不完全性定理を中心とした
各事象におけるレベルの違いというものを認識すること。
無意識の領域に溜め込み、しかしそれを認識しながら育てていくということ。」」」
▽夜に夢を見るという現象には昔から興味がある。
前、安部公房さんの本を読んでて、氏が夢日記がよい、と言うのに影響されてしばらく自分もやってみたことがあった。
(めんどうくさいから最近やってない。ていうか今日からまたやろうかなと今思った)
それを見返していたところなかなか面白かったのでいくつか採りあげてみる。無修正。
・ヴォルデモートに見つからないように吉祥寺にかくれる。
・の子のタケノコほりの合法性について、都。
・ザーメンとワンタンをまちがえる。
・ツキノハグマ全滅。人面熊が台頭。かわいい。
・(風呂場)小松「210、61.....」 田中:(バシッ)
小松「生きてる!!生きてる!!」 〃
・サイトーにストーカーされて、会うが、あんまりかわいくなかった。制服きてる。
忘れていた彼女の笑顔(口元?)の断片を垣間見る。そういや。
・見てる夢の夢を見た。それは明日からただいわば普通に生きているだけのもので 少し嫌になった。
見た夢の光景はすぐ思い出せなくなってしまうのだけど、夢日記に書いたものは何故か覚えているものが多い。
ていうか、朝、誰かが見た夢をうれしそうに語ってくることがあるが、こちらはすげーどうでもいいと思うことがたまにある。
それと同じような気がする。別に消さないけど。
▽他人の見る生理学的な夢はどうでもいいが、
他人が語る将来のビジョンとしての夢も割とどうでもいいという点で、他人の夢はどうでもいいと結論付けることができよう。
あと、夢という日本語にはそういった二つの意味があって、うまいもんだなあと思う。
▽最近まで期末テストがあった。
翌日に控えた確率論の勉強をしていて、意味の分からない問題群にずっと対面しているうちに、
頭の中で分散やら畳み込み積分やらがぐるぐる回る状態になって、
不意に何故か「あ、もう大丈夫だわ」と思って早くに寝てしまった。
結局その試験はけっこうできた。今のミサワぽい。
▽よく心理テストとかで「物事をよく考えてから行動するほうですか?」とか言うものがある。
正直言って僕はNOで、それができればいいなあと思いながらも、
その場では考えが及ばずにただなんとなく行動しているのが実際。
でもそんな中で、漠然としているがそれでいてはっきりとした印象を抱いている。
なんか意味深だけど、なんかこう本当になんとなく、良いか悪いか、快か不快か、といった感情、直感がある。
たぶん現れてくる行動は基本的にその印象のベクトルに沿っていると思う。
そしてそういった一連の出来事を、あとになって反芻していると、昔からいろいろと後悔することが多いが、
それはまあ今もいつもあることで、それに加えて最近になって、そのとき抱いていた印象というものを精査する時、
論理の飛躍と飛躍を経てなかなか合理的だったりして驚くことがある。
(至極当たり前のことをすげー大げさに書いているな…)
▽人間の無意識の可能性について、これを書きながら考えている。
よく聞く話で、人間は脳の97%は使ってないという。
詳しいことはよう知らんが、やはり無意識の領域で使っているんじゃないかなあ。
ここで、冒頭の文章のスクラップ
「無意識の中に如何に放り込むか、無意識の中から如何に創出するか。
無意識の領域に溜め込み、しかしそれを認識しながら育てていくということ。
睡眠とは低いレベルの事象と高いレベルの事象を結ぶ、そういうものなのではないか。」
何かの引用だったか自分で拵えたか忘れた。
無意識の可能性を突き詰めて行った先の創造性、などといったことを個人的に考えている。
そこで睡眠や夢というものがその鍵になってくると思うのです。
これもよく言うところでは、夢は無意識の発現、夢日記は無意識の作用を強くしてやばいというもの。
以上まとまりの無い文章になってしまった。言いたいのはこんな所でした。
▽あとオマケに、これは希望的推測ではあるが、先程の例でいうと、
確率論の知識、まあ一般に内容を問わず何かしらの纏まった知識を脳内に雑多に放り込むと、
これまでに育んできた低レベル層の同型対応として、
睡眠を通じてある程度それらを結合してくれて、目覚めるとより高い次元や別次元の思考の塊が生じている、
過剰な反芻によって心象の元型が鍛えられ、元型から生じる直感が深く考えたものと同質のものとなる、
とかだと、なんか報われる感じでうれしい。一朝一夕では無理だよ、みたいな。
▽ていうか一々予防線を張らないと文章を書けなかったか俺は?
(という予防線っていう予防線、以下メタ)
▽自身の人生において、多くの面で思考停止してるような奴らは、
ある意味アイデンティティの土台がしっかりとしているのでそれなりのモチベーションがあって、
目指す方向に努力していけるから、当然その方向を向いた結果も出ていて、いい思いをしていて、むかつく。
思考停止をしていることに自分で気づいていないから幸せだ。
マッチョの腕立て伏せ。嫌な世界だ。
例によって箇条書きにしようと思っていたところ、一貫性が生じてきた(後記)。
▽前に書きかけて忘れていた記事を発見した。何を言いたかったのかよく分からない。
「「「階層性
美的感覚と真実の同型対応。同型対応を見つけるのに重要なのはパターンである。形式からの離脱と形式の重圧
一番低レベルの部分をいかに創るか
ニューロン、物理法則、ユークリッド4原則に対応するような、ライフゲームでは可能か
無意識の中に如何に放り込むか、無意識の中から如何に創出するか。
睡眠とは低いレベルの事象と高いレベルの事象を結ぶ、そういうものなのではないか
再帰性
そしてこの自然の多様性である
溜め込んでいくことが必要なのではないか
ゲーデルの不完全性定理を中心とした
各事象におけるレベルの違いというものを認識すること。
無意識の領域に溜め込み、しかしそれを認識しながら育てていくということ。」」」
▽夜に夢を見るという現象には昔から興味がある。
前、安部公房さんの本を読んでて、氏が夢日記がよい、と言うのに影響されてしばらく自分もやってみたことがあった。
(めんどうくさいから最近やってない。ていうか今日からまたやろうかなと今思った)
それを見返していたところなかなか面白かったのでいくつか採りあげてみる。無修正。
・ヴォルデモートに見つからないように吉祥寺にかくれる。
・の子のタケノコほりの合法性について、都。
・ザーメンとワンタンをまちがえる。
・ツキノハグマ全滅。人面熊が台頭。かわいい。
・(風呂場)小松「210、61.....」 田中:(バシッ)
小松「生きてる!!生きてる!!」 〃
・サイトーにストーカーされて、会うが、あんまりかわいくなかった。制服きてる。
忘れていた彼女の笑顔(口元?)の断片を垣間見る。そういや。
・見てる夢の夢を見た。それは明日からただいわば普通に生きているだけのもので 少し嫌になった。
見た夢の光景はすぐ思い出せなくなってしまうのだけど、夢日記に書いたものは何故か覚えているものが多い。
ていうか、朝、誰かが見た夢をうれしそうに語ってくることがあるが、こちらはすげーどうでもいいと思うことがたまにある。
それと同じような気がする。別に消さないけど。
▽他人の見る生理学的な夢はどうでもいいが、
他人が語る将来のビジョンとしての夢も割とどうでもいいという点で、他人の夢はどうでもいいと結論付けることができよう。
あと、夢という日本語にはそういった二つの意味があって、うまいもんだなあと思う。
▽最近まで期末テストがあった。
翌日に控えた確率論の勉強をしていて、意味の分からない問題群にずっと対面しているうちに、
頭の中で分散やら畳み込み積分やらがぐるぐる回る状態になって、
不意に何故か「あ、もう大丈夫だわ」と思って早くに寝てしまった。
結局その試験はけっこうできた。今のミサワぽい。
▽よく心理テストとかで「物事をよく考えてから行動するほうですか?」とか言うものがある。
正直言って僕はNOで、それができればいいなあと思いながらも、
その場では考えが及ばずにただなんとなく行動しているのが実際。
でもそんな中で、漠然としているがそれでいてはっきりとした印象を抱いている。
なんか意味深だけど、なんかこう本当になんとなく、良いか悪いか、快か不快か、といった感情、直感がある。
たぶん現れてくる行動は基本的にその印象のベクトルに沿っていると思う。
そしてそういった一連の出来事を、あとになって反芻していると、昔からいろいろと後悔することが多いが、
それはまあ今もいつもあることで、それに加えて最近になって、そのとき抱いていた印象というものを精査する時、
論理の飛躍と飛躍を経てなかなか合理的だったりして驚くことがある。
(至極当たり前のことをすげー大げさに書いているな…)
▽人間の無意識の可能性について、これを書きながら考えている。
よく聞く話で、人間は脳の97%は使ってないという。
詳しいことはよう知らんが、やはり無意識の領域で使っているんじゃないかなあ。
ここで、冒頭の文章のスクラップ
「無意識の中に如何に放り込むか、無意識の中から如何に創出するか。
無意識の領域に溜め込み、しかしそれを認識しながら育てていくということ。
睡眠とは低いレベルの事象と高いレベルの事象を結ぶ、そういうものなのではないか。」
何かの引用だったか自分で拵えたか忘れた。
無意識の可能性を突き詰めて行った先の創造性、などといったことを個人的に考えている。
そこで睡眠や夢というものがその鍵になってくると思うのです。
これもよく言うところでは、夢は無意識の発現、夢日記は無意識の作用を強くしてやばいというもの。
以上まとまりの無い文章になってしまった。言いたいのはこんな所でした。
▽あとオマケに、これは希望的推測ではあるが、先程の例でいうと、
確率論の知識、まあ一般に内容を問わず何かしらの纏まった知識を脳内に雑多に放り込むと、
これまでに育んできた低レベル層の同型対応として、
睡眠を通じてある程度それらを結合してくれて、目覚めるとより高い次元や別次元の思考の塊が生じている、
過剰な反芻によって心象の元型が鍛えられ、元型から生じる直感が深く考えたものと同質のものとなる、
とかだと、なんか報われる感じでうれしい。一朝一夕では無理だよ、みたいな。
▽ていうか一々予防線を張らないと文章を書けなかったか俺は?
(という予防線っていう予防線、以下メタ)
▽自身の人生において、多くの面で思考停止してるような奴らは、
ある意味アイデンティティの土台がしっかりとしているのでそれなりのモチベーションがあって、
目指す方向に努力していけるから、当然その方向を向いた結果も出ていて、いい思いをしていて、むかつく。
思考停止をしていることに自分で気づいていないから幸せだ。
マッチョの腕立て伏せ。嫌な世界だ。
Comment
PR
Profile
geroppii
Archive