キェ―――
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今回の地震では、部屋の土壁に亀裂が入り隅が欠け、部屋が頻繁にぴしぴし言い始めたくらいで、
身の回りの被害はほとんどありませんでした。
あと、庭の木に鈴なりになってて、よく蹴飛ばして遊んでたまずい夏みかんが、ここにきておいしく食べられる境地に達した。
という話は実はどうでもよくって、最近、情報収集と視野を広めるために、フォローを絞ってツイッターを利用し始めました(超今更)。
馴れ合いのとしてのそれはdisってる部分もあって、今のところ何か情報を発信するつもりはないんですが、
まあ人によって利用法は様々でいいかな、ということでロム専に徹しています。
ある出来事に対して、右とか左とか在日外国人などの意見が同じタイムライン上に並んでくるというのは強みだと思いつつ見てます。
フォロー数を絞るというのはかなり大切な気がする。
今回の件に関して思うのは、日本人って普段自分の仕事や身の回りの事に多忙過ぎて
社会やその在り方について考えたり声を上げて意見を主張する事をしてこなかった為に、
一部の関係者だけが自分達のやりたいようにしてきた結果だと思うんですよね。
これは、誰か知らない人の呟きの引用の一部の引用です。言いたいことを端的に表している。
今までの話はこの後の前フリなんですけど、
震災の関連で個人的に問題だと感じていることの一つに、物事に関する無関心ということがあります。
このことについて、以下、僕が最近考えていることを書きたいと思います。
まあ、暇ならちょっと見てみてください。
僕は、ショッキングな津波と火災の映像や、先の見えない原発問題を目の当たりにして、
フクシマをはじめ、被災地は自分の日常とは遠く離れたどこか別の世界のように感じてしまっている節が少なからずある。
現実から目を背けたい、という言葉通りの心境で、深く考える気が起きない。
こんな状況下で、保身で後手後手の頭が悪いとしか言いようのない政府や東電関係者の対応が現実逃避に拍車をかける。
何やってんだうちの国は…と現実を直視したくなくなりもする。
一国の首相が、雨が降ったから視察中止って、遠足か! デマを裏付けてんじゃねえよ!
今日の年間被曝限度量の基準を引き上げとかもアホとしか思えません。
それと並行して、与えられる情報に懐疑的にならざるを得ないということが自分の中では大きいです。
テレビなどでは政府や東電バッシングがほとんど見られず、自称専門家の「直ちに健康に影響はない」の一点張りです。
ACと東電とマスコミの癒着、東電と大学教授の癒着とか、聞くだけで耳が痛い。
そこで登場するのが自由の鑑と言われるネットなんだけど、実際見てると、
情報発信の手軽さと匿名性ゆえに多大な情報が錯綜して混沌としている。
正直言って、いちいちネットの情報の裏を取るのは面倒くさいし、孫正義社長に避難しろって言われたら信じてしまうのでは。
ブログやツイッターって、各々の立場と思想に都合のいいことしか書いてないことが多くて、どうも信用ならない部分がある。
そんなことを言い出したらきりがなくなって、心の拠りどころがなくなっている。
このような心理状況があるけれども、日常は絶えず迫ってくる。
だから、とりあえず思考を停止して、どうにかなるだろうという願いをこめて自分の生活に戻る。
事態がよく分かってないから何もしようと思わないし、なんか面倒くさい。
上に持ってきたイタリックの文は原発問題に対するものですが、
「日本人って普段自分の仕事や身の回りの事に多忙過ぎて社会やその在り方について考えたり声を上げて意見を主張する事をしてこなかった」
は、僕が接する(極少ない)人々を見ていても、割と多くの人に当てはまると思う。
無意識的に無関心に逃げているというか、積極的に思考停止に陥るというか、うまく言えないけど。
でも、それはやはり無責任であると思う。
今までも、民主党の騒動の時など、漠然と同じようなことを感じていて、それでも世界は回ってきた(?)からよかった。
そして見えないところで「一部の関係者だけが自分達のやりたいようにしてきた」のだろう。
そうやって積み重なってきた他力本願の歪みが、いつにない衝撃で破綻しつつあるように思う。
「日本人なら大丈夫」「一つになろう」といった文句がやたら繰り返されてるけど、正直疑問を禁じえない。
今までどおりにやったらどうにもならないんじゃないか(いつものように僕が空騒ぎしてるだけで、うまく収束すれば一番いいけど)。
僕自身、原子力発電所の構造や状況を読んでフーンって思って、あまり分かってなくて、
ニュース見てもまたかーって感じになっちゃうのが実際のところです。
知っているようで、考えているようで、何も分かってない。
それはそれで自分の生命維持で精一杯だし。
今の社会の状況で、知るという活動には困難が伴うと思います。
疲れるし、時間も必要になって、自分の生活を犠牲にしなければならない。
そこから一歩進んで情報を発信したり、デモを起こしたりするのは更に難しい。
必要なのは本気で知ろうとする覚悟、行動に移す覚悟、生活とのバランス感覚、でしょうか。俺に何ができるか。
また、地震予測や原発の関連で、科学という宗教、科学と政治性みたいなことも考えることがあるけど、それはまた後日。
身の回りの被害はほとんどありませんでした。
あと、庭の木に鈴なりになってて、よく蹴飛ばして遊んでたまずい夏みかんが、ここにきておいしく食べられる境地に達した。
という話は実はどうでもよくって、最近、情報収集と視野を広めるために、フォローを絞ってツイッターを利用し始めました(超今更)。
馴れ合いのとしてのそれはdisってる部分もあって、今のところ何か情報を発信するつもりはないんですが、
まあ人によって利用法は様々でいいかな、ということでロム専に徹しています。
ある出来事に対して、右とか左とか在日外国人などの意見が同じタイムライン上に並んでくるというのは強みだと思いつつ見てます。
フォロー数を絞るというのはかなり大切な気がする。
今回の件に関して思うのは、日本人って普段自分の仕事や身の回りの事に多忙過ぎて
社会やその在り方について考えたり声を上げて意見を主張する事をしてこなかった為に、
一部の関係者だけが自分達のやりたいようにしてきた結果だと思うんですよね。
これは、誰か知らない人の呟きの引用の一部の引用です。言いたいことを端的に表している。
今までの話はこの後の前フリなんですけど、
震災の関連で個人的に問題だと感じていることの一つに、物事に関する無関心ということがあります。
このことについて、以下、僕が最近考えていることを書きたいと思います。
まあ、暇ならちょっと見てみてください。
僕は、ショッキングな津波と火災の映像や、先の見えない原発問題を目の当たりにして、
フクシマをはじめ、被災地は自分の日常とは遠く離れたどこか別の世界のように感じてしまっている節が少なからずある。
現実から目を背けたい、という言葉通りの心境で、深く考える気が起きない。
こんな状況下で、保身で後手後手の頭が悪いとしか言いようのない政府や東電関係者の対応が現実逃避に拍車をかける。
何やってんだうちの国は…と現実を直視したくなくなりもする。
一国の首相が、雨が降ったから視察中止って、遠足か! デマを裏付けてんじゃねえよ!
今日の年間被曝限度量の基準を引き上げとかもアホとしか思えません。
それと並行して、与えられる情報に懐疑的にならざるを得ないということが自分の中では大きいです。
テレビなどでは政府や東電バッシングがほとんど見られず、自称専門家の「直ちに健康に影響はない」の一点張りです。
ACと東電とマスコミの癒着、東電と大学教授の癒着とか、聞くだけで耳が痛い。
そこで登場するのが自由の鑑と言われるネットなんだけど、実際見てると、
情報発信の手軽さと匿名性ゆえに多大な情報が錯綜して混沌としている。
正直言って、いちいちネットの情報の裏を取るのは面倒くさいし、孫正義社長に避難しろって言われたら信じてしまうのでは。
ブログやツイッターって、各々の立場と思想に都合のいいことしか書いてないことが多くて、どうも信用ならない部分がある。
そんなことを言い出したらきりがなくなって、心の拠りどころがなくなっている。
このような心理状況があるけれども、日常は絶えず迫ってくる。
だから、とりあえず思考を停止して、どうにかなるだろうという願いをこめて自分の生活に戻る。
事態がよく分かってないから何もしようと思わないし、なんか面倒くさい。
上に持ってきたイタリックの文は原発問題に対するものですが、
「日本人って普段自分の仕事や身の回りの事に多忙過ぎて社会やその在り方について考えたり声を上げて意見を主張する事をしてこなかった」
は、僕が接する(極少ない)人々を見ていても、割と多くの人に当てはまると思う。
無意識的に無関心に逃げているというか、積極的に思考停止に陥るというか、うまく言えないけど。
でも、それはやはり無責任であると思う。
今までも、民主党の騒動の時など、漠然と同じようなことを感じていて、それでも世界は回ってきた(?)からよかった。
そして見えないところで「一部の関係者だけが自分達のやりたいようにしてきた」のだろう。
そうやって積み重なってきた他力本願の歪みが、いつにない衝撃で破綻しつつあるように思う。
「日本人なら大丈夫」「一つになろう」といった文句がやたら繰り返されてるけど、正直疑問を禁じえない。
今までどおりにやったらどうにもならないんじゃないか(いつものように僕が空騒ぎしてるだけで、うまく収束すれば一番いいけど)。
僕自身、原子力発電所の構造や状況を読んでフーンって思って、あまり分かってなくて、
ニュース見てもまたかーって感じになっちゃうのが実際のところです。
知っているようで、考えているようで、何も分かってない。
それはそれで自分の生命維持で精一杯だし。
今の社会の状況で、知るという活動には困難が伴うと思います。
疲れるし、時間も必要になって、自分の生活を犠牲にしなければならない。
そこから一歩進んで情報を発信したり、デモを起こしたりするのは更に難しい。
必要なのは本気で知ろうとする覚悟、行動に移す覚悟、生活とのバランス感覚、でしょうか。俺に何ができるか。
また、地震予測や原発の関連で、科学という宗教、科学と政治性みたいなことも考えることがあるけど、それはまた後日。
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