キェ―――
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2016/07/18 (祝) の日記
昨日は人と六本木デートをした。
いつものようにぬるく終わったんだけど、
そのままで良いとするのが僕のいつもなんだけど、
何もせずに妄想で補完して満足するのが僕のいつもなんだけど、
その先に待つは盤石の破局であるため、今朝になってDirectなLINEを送ってみた。
その後、ドキドキしながら、
幕末志士が5時間スーパーマリオ・ブラザーズ3をしている動画の続きを見ながら、
返事を待っていても昼過ぎまで返信がなかった。
そのため、アコギを背負ってカラ鉄に出掛けた。
新高円寺の交差点で、LINEの通知が来ているのをチラ見し、ドキッとした。
「生きてるな~」という感じがした。
そのとき、自転車のペダルが破壊されたのは暗示的であった。
次に、前輪のパンクと破壊されたペダルの修理のためにオリンピックに自転車を預けた。
次に、マックでコカ・コーラZeroのMを220円で購入し、30分程度でLINEの返信をした。
もう少しコンパクトにまとめるべきだったな、と思った。
カラ鉄では、機械の子機が壊れていて、部屋を交換してもらった。
そろそろ顔がかわいい店員に顔を覚えられたと思う。
次に、距離感と孤独に空しくなった。
次に、食欲が全くなく、てんやではなくかつやで昼食という惰性を行った。
甘ダレからあげ丼は、米までタレまみれになっていて、米が持つ「無性」を殺していた。
帰りに、最悪なことに気づいてしまった。
私は、考えてることや心の中を他人に予測されるのがとても嫌いなのですが、
その割に、自分に関する正しい理解を他人に求めるという矛盾を孕んでいた。
その理由を考えていたら、ふと、
「過去に自分を見切った・拒絶した人間は、
自分の中身を嫌いになったのではなく、
(その人の力が不足していて)自分のことを正しく理解できなかった(から私は悪くない)、
と思い込みたがっている。」
というアイデアが生まれた。
そのアイデアには、我ながら納得感が伴っており、嫌になった。
じわっとかく汗、扇風機の音、いつもの地獄のような部屋の底で、
Amazonでわざわざ取り寄せたGARNET CROWのミニアルバム
first kaleidoscope ~君の家に着くまでずっと走ってゆく~
を聴きながら泥のように眠る。
目覚めたとき、
「心の部分に掛かる重みこと重心があり...
世界とは、認識の域を出ないものであり...
所詮、どうにでもなりそうなものだろ...。」
と思う。
また、
「どうにでもなる...どうにでもなる...
どうにでもしなければならない...どうにでも...。」
と思う。
生きてると、定期的に、エヴァンゲリオンの最後の2話を見直したくなる。
最近、エバの最終話でシンジが白い空間にプカプカ浮いてるシーンをよく思い出す。
当たり前の話ではあるけど、ああやって言ってくれると思い出しやすくて良い。
画面「不潔、汚いわ...。
無様ね...。
いやらしい、汚らわしいわ!それが大人のつき合いだなんて、反吐が出るわ!!」
僕「なるほど...。」
自分のことに関して、自分とばかり話してると、
自分ばかりが大切で中心になってしまうのは、心の自然な作用だ。
ベジータよ、ブルマがいてよかったな。
繰り返す。
昨日は未だ終わってないし、明日だって今日の一部だ。
昨日は人と六本木デートをした。
いつものようにぬるく終わったんだけど、
そのままで良いとするのが僕のいつもなんだけど、
何もせずに妄想で補完して満足するのが僕のいつもなんだけど、
その先に待つは盤石の破局であるため、今朝になってDirectなLINEを送ってみた。
その後、ドキドキしながら、
幕末志士が5時間スーパーマリオ・ブラザーズ3をしている動画の続きを見ながら、
返事を待っていても昼過ぎまで返信がなかった。
そのため、アコギを背負ってカラ鉄に出掛けた。
新高円寺の交差点で、LINEの通知が来ているのをチラ見し、ドキッとした。
「生きてるな~」という感じがした。
そのとき、自転車のペダルが破壊されたのは暗示的であった。
次に、前輪のパンクと破壊されたペダルの修理のためにオリンピックに自転車を預けた。
次に、マックでコカ・コーラZeroのMを220円で購入し、30分程度でLINEの返信をした。
もう少しコンパクトにまとめるべきだったな、と思った。
カラ鉄では、機械の子機が壊れていて、部屋を交換してもらった。
そろそろ顔がかわいい店員に顔を覚えられたと思う。
次に、距離感と孤独に空しくなった。
次に、食欲が全くなく、てんやではなくかつやで昼食という惰性を行った。
甘ダレからあげ丼は、米までタレまみれになっていて、米が持つ「無性」を殺していた。
帰りに、最悪なことに気づいてしまった。
私は、考えてることや心の中を他人に予測されるのがとても嫌いなのですが、
その割に、自分に関する正しい理解を他人に求めるという矛盾を孕んでいた。
その理由を考えていたら、ふと、
「過去に自分を見切った・拒絶した人間は、
自分の中身を嫌いになったのではなく、
(その人の力が不足していて)自分のことを正しく理解できなかった(から私は悪くない)、
と思い込みたがっている。」
というアイデアが生まれた。
そのアイデアには、我ながら納得感が伴っており、嫌になった。
じわっとかく汗、扇風機の音、いつもの地獄のような部屋の底で、
Amazonでわざわざ取り寄せたGARNET CROWのミニアルバム
first kaleidoscope ~君の家に着くまでずっと走ってゆく~
を聴きながら泥のように眠る。
目覚めたとき、
「心の部分に掛かる重みこと重心があり...
世界とは、認識の域を出ないものであり...
所詮、どうにでもなりそうなものだろ...。」
と思う。
また、
「どうにでもなる...どうにでもなる...
どうにでもしなければならない...どうにでも...。」
と思う。
生きてると、定期的に、エヴァンゲリオンの最後の2話を見直したくなる。
最近、エバの最終話でシンジが白い空間にプカプカ浮いてるシーンをよく思い出す。
当たり前の話ではあるけど、ああやって言ってくれると思い出しやすくて良い。
画面「不潔、汚いわ...。
無様ね...。
いやらしい、汚らわしいわ!それが大人のつき合いだなんて、反吐が出るわ!!」
僕「なるほど...。」
自分のことに関して、自分とばかり話してると、
自分ばかりが大切で中心になってしまうのは、心の自然な作用だ。
ベジータよ、ブルマがいてよかったな。
繰り返す。
昨日は未だ終わってないし、明日だって今日の一部だ。
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