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キェ―――
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現在は体験の総合的な交点として更新され続けている。

人格を、乾季に干上がった地面に標高の高い地点からの水流がもたらされて形成される途中の河道、と喩えると、
経過時間で切り出してきた人格には、いくつもの分水界が存在する。
圧倒的な流量を誇ると思い込んでいた本流に、思わぬ副流がぶつかってきて、
進行方向を変えさせられてしまうことも多い。
インパクトのある水流は、目の前に突然に湧き上がってくるというよりは、
意識の外で、遠い昔から粛々と流れを進めているように思える。
そういった水流が同時並行的に何本も流れていて、
ある瞬間瞬間に統合されながら、人格が形成されるというイメージを持っている。
そして、そこに認識が伴うと様々な人格(水界)を自由に引き出せるのではないか。

最近、特別に認識していなかった副流のひとつに読書体験があるのに気づいた。
ここでいう読書体験は、総体としての読書体験とそれらの本ひとつひとつに分類される。
いつからだろうか、不思議なほどに現在は重視していなかったが、
大学生時代は理由のない使命感で読書に没頭し、その莫大なエネルギーの消費があった。
過去を否定することによって現在の優位性を保とうとする弱い心の働きのためか、
ただ濃密であっただけで、数や固有名詞で表面的に主張できる部分がなかったからか、は分からない。
もちろん、本で読んだことが与える現在への影響(当たり前)を考えないわけではなかった。
ただ、思えば積極的・方法的な姿勢がなかったかもな、というのはちょっとした発見である。

ということを考えたのも、昔の読書記録を見返していたからである。
特に、狂気じみた島尾敏雄の私小説「死の棘」を、狂気じみたFlower travellin' band「Satori」を聴きながら読んでいた、
怨念に包まれた夏休みの夕暮れ時、蒸し暑く密閉された自室の記憶が生々しく蘇った。
たまたま読んだ本と、たまたま聴いた音楽、たまたま陥った状況、あの体験が自分の貞操観念に影を落としているような気がした。
今年は著名人の不貞が問題になることがよくあって、そういったニュースに関連した人々のリアクションに気を揉んでしまう。
不貞の輩を許せないといった単純な問題ではなく、
色恋沙汰そのものに対する異常なまでの拒否感と異常なまでの執着を同時に発揮している。

文章を書きだすとキリがないのでやめますが、とりあえず電子書籍を購入しようと考えている。



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「死にますとも。...けどあなたとちがってあたしは生涯をかけてあなたひとりしか知らないんですからね。...

妻の服従を少しもうたがわず、妻は自分の皮膚の一部だとこじつけて思い、自分の弱さと暗い部分を彼女に皺寄せして、それに気づかずにいた。

立てこんだひらやの家々が寝しずまっている暗い路地に立ちどまって、かさねてなんべんも妻の肉を打っていると、苦行のにおいがただよってきてむなしさがふくれあがり、...

それは既に発作のはじまりかけた目つきなのだ。

「...あなたはこれがあたしの復讐だなどとおっしゃるの?復讐はこんななまやさしいものじゃありません。...

きちがいを装うことを私は覚えてきた。それはひどくみにくいが、妻が発作を起こすと、それをしないではいられなくなる。

徐々にではあるが、自殺の方法をあれこれ考えている自分に気づくことが多くなり、私は自分を見直す思いだ。...いつもはいちばん嫌悪があり、またできそうもない刃物による自殺が、今はむしろ鮮潔な結末があって、おそらくぶざまなその最期の現場に飛びちる血のりは、私の汚れの幾分かを洗ってくれるかもしれない気がしてき、...

さわぎの最中に、妻が笑い出すか、あくびをすると、私たちに正気がもどってきて、抱き合って涙ぐみ、お互いに、かわいそうだ、かわいそうだ、ごめんなさい、と言い合う。

「カテイノジジョウ、しないでよ」...「ぼく、たのしいことなんてもうなくなっちゃった。たのしくってもこころから笑えないんだ」などと言うのだ。...「アタチダッテ、カンガエテイルンダカラ」とにこりともしないで言った。

妻は波のように次々に押しよせてくる不信のたよりなさに耐えられず、確かな自分をしっかりつかみたいのに、突きあげてくる狂操をおさえることができず、たよりなげな悲しみをむきだしにしている。

妻は自分が死んでも私が追い死になどしないであとに残り、長く長く生きのびるにちがいないということがわかっているかのようだ。

私の最後の隠しごとが、今あばかれる!あばかれることはいいとして、妻の前に、行為としての隠しごとは、すべて追い出したはずであったのに。...結局出さなければならぬと知りながら、そらとぼけて時間をのばしていると、そんなにしてまでひとつのうそを守ろうとする自分の暗い情熱に絶望の思いが湧いてくる。

毎日がまるで死のからだを撫でているみたいだ。

私のゆがんだ生活がこどもらに与えてしまった歪みを、どう見つけだしそして直していけばよいかを考えると暗澹となった。

他人の前でも発作をおさめない新しい妻の症状に、奈落の底に突き落とされた気持を味わっていた。

ずっと遠道になるが、できるだけ家族だけで過ごす新しい過去を作っておかなければならぬ。私に残された手段は、時を身方にすることだけだと気づいてきたようなのだ。

「トシオ、早く早くこれをとって」と突き出す足の裏を見ると、長い棘が突きささっている。...「根っこを残さないでちゃんと抜いてくれなくちゃいやよ」

島尾 敏雄, "死の棘", 新潮文庫 (1981).



羞恥心は自他を比較することから生じる。より正確にいえば、自他を比較し、自分は他人になれたはずなのにどうして自分のままでいなればならないのだろうと疑うとことから生まれる。流動性のある社会、あるいは誰もが「騎兵」になる可能性をあたえられている社会に生きる母の心に生じる動揺の表現である。

彼女は今、狂気の拘束のなかでかぎりなく「自由」である。その「自由」さのなかにときどきあの奪われた世界が復活する。彼が「喪失」し、「自由」になったということは、彼があらゆる役割から開放されたということである。このとき、人はそこで日常生活が営まれている社会の次元から、単に存在している もの の次元にすべり落ちる。

生きつづけるためには、人は何らかの「役割」を引き受けなければならないから。この希望も絶望もない不透明な世界のかたち

彼は充実しており、「生きている」が、それは彼がイメイジを回復しているからである。時子は死にかけているが、彼は「幸福」である。時子が死ぬので「幸福」なのではなく、「母」を自由に思い描ける自分が「幸福」なのである。われわれのなかに「母」との合体を求める原初的な衝動があり、「母」に拒まれあるいは「母」を拒んだ罪悪感が澱んでいる以上、「母」に赦されつつこれを汚すという救済が感動的なものでないことはない。

「突然の不在」ではなしに、むしろ「無限の偏在」というべき象徴

なにもかもの崩壊や不在への「恐怖」のために、人は「治者」の責任を進んでになうことがある。しかし、「治者」の、つまり「不寝番」の役割に耐えつづけるためには、彼はおそらく自分を超えたなにものかに支えられていなければならない。しかし、あるいは「父」に権威を賦与するものはすでに存在せず、人はあたかも「父」であるかのように生きるほかないのかもしれない。彼は露出された孤独な「個人」であるにすぎず、その前から実在は遠ざかり、「他者」と共有される沈黙の言葉の体系は崩壊しつくしているかも知れない。彼はいつも自分がひとりで立っていることに、あるいはどこにも自分を保護してくれる「母」が存在し得ないことに怯え続けなければならないのかも知れない。だが近代のもたらしたこの状態をわれわれがはっきり見定めることができ、「個人」であることを余儀なくされている自分の姿を直視できるようになったとき、あるいはわれわれははじめて「小説」というものを書かざるを得なくなるのかも知れない。

江藤 淳, "成熟と喪失 -“母”の崩壊-", 講談社 (1993).



新しい機能を得るためには、既存の活性部位を変えなければいけないが、自然淘汰が活性部位の変化を許さないという問題がある。この自然淘汰の監視から逃れる手は、1つしかない。自身を重複してエキストラコピーを作ることである。

どうも、部分的盗作という概念には、堂々巡りという致死的な欠陥があるようである。さいわい、真核生物には、単細胞生物と多細胞生物の中間的な生き方をするものがある。それは粘菌の類である。

とにかく、生命誕生前に生まれた3の倍数でない単位塩基の繰り返しが、塩基置換によってある程度変性した時に、爆発的な創造力を発揮したということである。

ところで、活性部位のアミノ酸配列が変わらない限り、前代未聞の活性を持った、本当の意味の新機能蛋白質は生まれ得ない。したがって、飛躍的進化の前提は、極端に保守的な自然淘汰の監視の目から一時逃れる方法を見つけることである。そこに、前述した倍数体化や、tandem gene duplicationの意味があるわけである。なるほど、重複によって冗長なコピーは自然淘汰が無視してくれるから、突然変異を無差別に蓄積できる。この無差別蓄積の結果は2つしかない。機能喪失による死物化か、前代未聞の新機能を獲得した新遺伝子としての再生である。ただし、冗長コピーの宿命は99%死物化である。

大野乾 "生命の誕生と進化" 東京大学出版会 (1988)



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